2016年09月15日

私のホトトギス 〜山口 青邨〜

四Sの命名者、山口青邨が昭和三十二年当時の「ホトトギス」の新人評を行い、その一人として依田秋葭(現 明倫)、嶋田摩耶子、嶋田一歩、成瀬正としらと共に中杉髏「が採り上げられました。

中杉隆世
この人は今年になつて俄然出て来た人のやうだ。それこそ白面の青年ではないか。

ひややかな人の横顔ばかりなる       隆世(たかよ)
(ひややかなひとのよこがおばかりなる)

悴みてけふこの女醜さよ
(かじかみてきょうこのおんなみにくさよ)

冬ざれや革靴のみが新しく
(ふゆざれやかわぐつのみがあたらしく)

餅を食ふ指を舐りて悩みなし
(もちをくうゆびをねぶりてなやみなし)

冷まじき釘磔像の掌に足に
(すさまじきくぎたくぞうのてにあしに)


ものをよく見てゐる、冷酷さをもつてゐる。そこが現代にアッピールするところだ。人の横顔を見てゐる。ひやゝかな人達だと思ふ。悴みいじけてけふはこの女いかにも醜いと思ふ。すこしの同情もない。冬ざれの中に革靴だけが新しい。新調だから、何とそぐはないことだらう。アンバランスの氣持。餅を食つた指をなめて惱みがない。白痴(※)ではない。がこんな男もよい。ある男のカリカチュール。
この人の將來がたのしみだ―。
この人に似たやうな人に成瀬正とし君がゐる。然しあまり奮つてゐない。
最後に結論とでもいふやうなものをまとめて言つて見たい。
相當なセンスをもつて、現代の中にゐる若い人達らしい作品とは思ふが、私にはまだあきたらない。もつと輝くもの、もつとスマートなもの、もつと知的なもの、もつと意欲的なもの、もつと逞しい魂、體格、體臭をもつたもの、もつと悪魔的なもの、もつと感激的なもの、そしてもつと重厚なものが欲しい。不完全でも先にのびるものが欲しい。もちろんこれは一人で全部もつといふ意味ではない。夫々の人がもっとかういふことを發揮してもらひたい。新人などとちやほやされて、ひよはいままかたまつてしまつてはいけない。

太陽は太陽の座に地蟲出づ         柳澤白川(やなぎさわはくせん)
(たいようはたいようのざにじむしいず)

ヒヤシンス乾きし庭に菓子のごと      同
(ひやしんすかわきしにわにかしのごと)

骨に似し萱に芒に野火迫る         眞下喜太郎(ましたきたろう)
(ほねににしかやにすすきにのびせまる)

同じ顔竝べて女雛男雛かな         同
(おなじかおならべてめびなおびなかな)


ちよつと眼に入つたのでここに出したが、これらの人はそれこそみんなに較べればお祖父さんかお父さんだが、このセンスとこの新鮮な感覚だ。負けてはいけない。
新人が出るには勿論その人の力によることだが、一方これを出してやる人もゐなければならない、選者がそれを發見し、育てることも必要である。

(山口 青邨「夏草」主宰)



中杉髏「
(角川書店「俳句」昭和三十二年十月号)


※今日では一部不適切な表現があるが、時代背景や作品の芸術性を尊重しそのまま記載する。

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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 私のホトトギス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする