2017年08月01日

円虹『ホトトギスの魅力(八)』

「青」の三百号記念号に京極杞陽氏は「波多野爽波小感」という一文を寄せられておりますが、その冒頭の言葉は、「爽波君は虚子先生の『深は新なり』という信念を否定した人である。」というものであります。また「爽波君は『深』と『新』の問題からは遠ざかってしまった。爽波君の作品の中に深みを探ってみても無意味のようだし、新を探ってみても無意味のようなことになってしまった。」とも書かれております。
杞陽氏は爽波さんにとっては学習院の「木犀会」の先輩であるというだけではなく爽波さんに俳句の手ほどきをした生みの親≠ノもたとえられる人であります。それは、「波多野爽波全集第三巻」に収められている爽波さんの「遥けき人ら」の中にも詳しく述べられておりますが、そこで「杞陽さんとの話を通じて私が得た一番貴重なものは、虚子先生への正しい理解と高野素十の句の魅力についてであった。」と爽波さん自身の述懐があるように爽波さんの中では重い存在であったように思われます。
事実、爽波第一句集の解説は杞陽氏の筆で爽波の句に触れ「近代的なアンニュイ」という評言を与えて、「序」を書かれた虚子先生と共にその前途を祝福されたのでありました。杞陽氏は爽波さんをいたく愛されていただけに苦言とも嘆きとも怒りともとれる一文によって前衛作家との交流を深めつつあった爽波さんに対して警鐘を打ち鳴らされたのだと思います。
当時、爽波さんの側近という立場にあった私は、この杞陽発言に対して爽波さんに感想を求めたことがあります。爽波さんは、頭を振りながら、淡々と、
「違うのです。違うのです。」とだけ云われました。そしてそれ以上の弁解はありませんでした。
ホトトギスの最大の魅力は虚子先生の目指される「花鳥諷詠」と「客観写生」という俳句の理念が明瞭であるということであります。そして虚子先生の訓えの中で最も大切なものが、この「深は新なり」という言葉であるように私には思われます。いかに新しい素材も、いかに新しい思想も世が移り人が変われば時間と共に風化し、みな過去へと消え去って行くものであります。しかし、大自然という存在≠ヘ四季の移ろいを示しつつもその本質は不変であります。
花鳥諷詠詩である俳句は単に「花」や「鳥」を皮相的に把えるのではなくその不易というべき存在≠ノ触れこれを表現しようとするものであります。「自然=存在=vは人間と対蹠されるものではありません。何故なら、「人間もまた存在=vであるからです。しかし、事物を事物として正確に表現してもそれは詩ではありません。客観写生を方法≠ニ理解することのような誤りを犯しがちであります。客観写生は「深は新なり」に徹する生き方即ち態度≠ネのであります。そして何よりも「感動し、表現し、賞美する」ところに詩があり、それを享受できるものは人間の心だけであります。「存問」とは「挨拶」のみの謂ではないように思われます。
(つづく)


中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(八)より)


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2017年07月15日

円虹『ホトトギスの魅力(七)』

四誌の主宰者である「年輪」の橋本鶏二にしろ、「菜殻火」の野見山朱鳥にしろ、「山火」の福田蓼汀にしろ、「青」の波多野爽波にしても、みな、虚子先生の信頼厚く期待を掛けられた人々であり、「ホトトギス」の中堅作家として三句欄を賑わしていた訳でありますから突如「四誌連合」なるものが出現し「ホトトギス」を離脱したということは一寸理解し難いことであったかも知れません。
しかし、伏線として考えられることは、野見山朱鳥の句に対し句集「天馬」の序に見られる虚子先生の警告や波多野爽波を賞掲しつつも句集「舗道の花」の

金魚玉とり落しなば舗道の花        波多野爽波(はたのそうは)
きんぎょだまとりおとしなばほどうのはな


が限界視されていたこと等から先生の俳句の世界から多少逸脱してゆく懸念とホトトギスの人々との間の違和感があったのではないかと思われます。
一方、「ホトトギス」の側にも、家庭団欒的な「末子俳句」や若者感覚的な「アロハ俳句」が主流となって俳句と真面目に取組もうとする四誌の若者達との間に意識の食い違いが生じたことも事実であったと思われます。今から思いますとそれも花鳥諷詠の一面であり別段目に角を立てる程のことでも無かったと思うのですが、勢いというのは怖ろしいもので一旦生じた反発は仲々元に戻すということは難しいものがあります。
「四誌連合」が目指した目標は、或意味では虚子先生が重視されていたことと同様の新人の顕賞≠ニいうことでありました。しかし、老境に入って幼児のような天真爛漫の世界を楽しむ一方、花鳥諷詠、客観写生に対抗する勢力には断固たる態度で闘志を燃やされる先生の幅広い視野というものに気付くことは難しかったのかも知れません。
とは云え、「四誌連合」からは、宇佐見魚目、馬場駿吉、友岡子郷をはじめ、大峯あきら、山本洋子、岡田日郎というような現在活躍している人々が排出され、その流れの中から田中裕明、岸本尚毅、中岡毅雄などの俊英が現れたことは広い意味で伝統俳句にとって大変有意義な仕事を成し遂げたものと云えましょう。
俳句は「座の文学」と云われますようにともすれば属する小グループを中心に「サロン」化しがちであります。虚子先生のような偉大な指導者は別として世の中に「先生」と称される人達は溢れており、それぞれが価値の相対性を主張し合って譲らなくなれば、結局、「月並化」「低俗化」に向かって行くほかはないと思います。
丁度、終戦から十年余りの昭和二、三十年代の俳壇は、「ホトトギス」対「アンチ・ホトトギス」との戦いであったように思われます。「ホトトギス」自体は超然としているつもりであっても時代の趨勢は「結社」から「協会」へ「結社誌」から「総合誌」へと移ってゆきました。現在、「日本伝統俳句協会」、「俳人協会」、「現代俳句協会」と三協会鼎立の状態となっておりますが、「四誌連合」は一面、「前衛」と「伝統」の橋渡しを行ないながら、「伝統」を擁護するという意味では、「日本伝統俳句協会」のさきがけ的な存在であったと云えるのかも知れません。
(つづく)


中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(七)より)


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2017年07月01日

円虹『ホトトギスの魅力(六)』

虚子先生の目に、稍々活気を呈しつつある≠謔、に映り心密かに祝福して居られた「ホトトギス」の水面下で或異変が生じつつあった事に誰も気付いてはおりませんでした。私は「ホトトギス」の他に池内たけし先生の「欅」と波多野爽波さんの「青」に投句をしており「ホトトギス」では連続巻頭になって写生俳句に夢中といった時のことです。昭和二十八年十月、「新人層の結集を図る」という旗印を掲げた「青」の創刊号から参加した私にとって波多野爽波という人は眩しい存在でした。句集「舗道の花」の序文に虚子先生は「一言にして云へば、爽波君の句などこそ、現代俳人の感覚を現はして居る、現代俳句と云ってよからうと思ふ。然も現代俳人と称へる者の陥って居る、怪奇蕪雑な措辞でなく、洗練された、形の整った、いい意味の近代的俳句である。」とされ、

冬空や猫塀づたひどこへもゆける       波多野爽波(はたのそうは)
(ふゆぞらやねこへいづたいどこえもゆける)

初鏡閨累々と横たはり            同
(はつかがみねやるいるいとよこたわり)

赤と青闘ってゐる夕焼けかな         同
(あかとあおたたかっているゆやけかな)


等二十七句を抜粋し推挙しておられます。
「青」創刊号には「山中湖雑詠」五句を投じられ、一周年には、有名な「『青』への言葉」をお寄せになっておられます。句集「舗道の花」は書林「新甲鳥」の昭和俳句叢書十巻の中の一つでその顔触れは、素十、波郷、立子、龍太、林火、朱鳥、多佳子、草田男、誓子という錚々たるものでありました。まことに伝統俳句の若きプリンスでありホープそのものであったと云えましょう。
昭和三十二年の「青」十二月号に「四誌連合会発足に当って」と題し、爽波自ら起草した一文が掲げられております。それは、『今回「山火」「年輪」「菜殻火」「青」の四誌に依って、四誌連合会≠ェ生まれることになりました。本会の構想は今春「年輪」創刊大会のため名古屋に赴いた折に、鶏二・朱鳥両氏との間に期せずして沸き上がったものであり、その後蓼汀氏の賛同を得て愈々実現への確信を深め、約半歳の日を経て漸く爰に発足の運びとなった次第であります。―中略―詮衡委員として四誌主宰者の外に、中村草田男氏の御参加を得ましたことは四誌連合会の出発に錦上花を添へるものと云ふことができませう。』と書かれて有りました。「伝統の正しい継承と逞しい更新の下に伝統俳句の明日を担う新人を顕賞する」ことを目的に結成された四誌連合は既に在った結社賞を強化し、前衛化しつつある俳壇に向かって伝統俳句の側から反撃を加えることと俳壇から超然としている伝統俳句の内部に向かっても覚醒を呼びかけるものであったと思われるのですが、「ホトトギス」の巻頭以外に賞≠ヘ不要であるという虚子先生のお考えに些か添わない面があったのかも知れません。
兎も角、先生ご存命中に生じたこの動きは「ホトトギス」に反旗を翻すものと誤解され、かつ、各所で物議をかもし、その結果「ホトトギス」に育まれ期待された新人層が相次いで離脱していくという事態に発展いたしました。(つづく)

中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(六)より)


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