2018年01月01日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十六年十一月號より)

夏富士は悍馬の如く立ち上り        中杉髏「(なかすぎたかよ)
(なつふじはかんばのごとくたちあがり)


いうまでもなく、富士といえば白雪だ。雪をいただいた清浄な姿は、日本の原イメージの一つでさえある。しかし他方、富士は掲句のような、黒々と生命力あふれる姿も見せる。
まず、「夏富士の=vではなく、「夏富士は=vとしたことで、夏らしい富士の姿を際立たせ、「悍馬の如く」で、最も適切な比喩を与えた。しかも、「立ち上り」によって、写生に動きといのちを与えた。黒々と筋骨隆々と、まるで史記にいう、一日に千里を走り血のような汗を流す汗血馬がいまにも駆け出しそうな姿である。
写生から出発して写生を超える。それが私たちの課題であり、そのためには私たちの生命力のすべてをかけて対象に迫らねばならない。そうすることによって、この句のように対象の生命力を引き出すことができるのだ。(中正)

日本一の富士山には四季折々の姿の変化がある。又春夏秋冬のどの変化にも富士山としてのそれぞれの顔が見える。雪の無い夏の富士山の荒々しいそして逞しい印象を受けた作者はその姿を悍馬の如く立ち上がると表現した。夏富士らしい感じを見事に表現した。(汀子)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十六年十二月号)


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2017年12月15日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十一年二月號より)

仙入の霧に隠れしあと知らず        中杉髏「(なかすぎたかよ)
(せんにゅうのきりにかくれしあとしらず)


仙入(せんにゅう)は初秋に分類されるウグイス科の小禽で、体は鶯色。山本健吉編『最新俳句歳時記』によると、秋、渡りのとき本州・北海道を通過するとある。なかなか見出しにくいともある。講談社『日本大歳時記』によると、日本で棲息する仙入の多くは北海道で蕃殖し、中でも蝦夷仙入は大形で鳴声がホトトギスに似て、北海道のホトトギスと言われていると。また島仙入といって伊豆の諸島でも蕃殖するもの、牧野仙入といって尾瀬で蕃殖したものもあるという。例句のないところを見ると、なかなか俳人の目に止まりにくい鳥なのであろう。幸運にも作者は仙入を知っておられ、それに会われたのだが、会ったと思ったら霧の中へ見失い、それきりになってしまったのである。下五で突き放したために却って仙入に対する思いが深くなったと思う。(比奈夫)

仙入というのは余り見かけることのないウグイス科の小禽である。北海道で繁殖する蝦夷仙入は鳴き方が時鳥に少し似ているところから北海道の時鳥とも言われるそうだ。「仙入の霧に隠れしあと知らず」と読み下すと仙入を見たこともその後のことも幻想的に霧が覆ってしまい、いたく読者の詩情を刺激する。何故か中島敦の『山月記』が頭を過った。(汀子)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十一年三月号)


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2017年12月01日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十一年一月號より)

火の朱鳥石の茅舎や蝉時雨         中杉髏「(なかすぎたかよ)
(ひのあすかいしのぼうしゃやせみしぐれ)
 

火の朱鳥とは火の如く燃えた句と云う意味で、野見山朱鳥の事を云う。又石の茅舎とは石の如く黙したと云う点で川端茅舎の事を指す。いずれも虚子晩年の俊秀を指すのである。
これをやと云う切字を以て二つに分け同時に詠って居る。
同時に詠うところに同時に推称する思いがこめられて居る。
二人の句を蝉時雨を以て同時にじっと思うところに諷詠の誠が現れて居る。(柏翠)

ホトトギスの一時代を経てきた作家として野見山朱鳥があり、川端茅舎がある。その作品と人物を表すのに火の朱鳥と言い石の茅舎であると作者は言う。作者自身も若き日にホトトギスの巻頭を何度か取って活躍した歴史がある。蝉時雨が語る茫々の軌跡。(汀子)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十一年二月号)


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