2018年01月15日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十八年九月號より)

つちふりてつちふりてつちふりにけり    中杉髏「(なかすぎたかよ)
(つちふりてつちふりてつちふりにけり)


中国大陸の黄土地帯から舞い上がった大量の黄砂が風にのって空を覆い、降る現象を霾の一字で、つちふる、ばい、と呼ぶが、その降り様がはげしい時は、日の光をもさえぎり、昼の天地をも暗くする。この句はあえて漢字を使わず仮名文字のみを用いて、しかもその事のみを繰り返し叙すことによって、情景の心持が鮮明に伝わってくる句に仕上がっている。実に平明で誰もが詠めそうであるが、そう簡単には詠めない句であり、心持のふかい句である。(葉)

特に西日本の方はこの季節になると「霾」が多く中国大陸から飛んできて、それこそ景が真っ黄色になってしまう日もある。それにしても何と大胆かつユニークな詠み方であろう。他の季題では完全に陳腐になってしまうのではないかと思うが、この季題はこの詠み方が何とマッチしている事か。(廣太郎)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十八年十月号)


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2018年01月01日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十六年十一月號より)

夏富士は悍馬の如く立ち上り        中杉髏「(なかすぎたかよ)
(なつふじはかんばのごとくたちあがり)


いうまでもなく、富士といえば白雪だ。雪をいただいた清浄な姿は、日本の原イメージの一つでさえある。しかし他方、富士は掲句のような、黒々と生命力あふれる姿も見せる。
まず、「夏富士の=vではなく、「夏富士は=vとしたことで、夏らしい富士の姿を際立たせ、「悍馬の如く」で、最も適切な比喩を与えた。しかも、「立ち上り」によって、写生に動きといのちを与えた。黒々と筋骨隆々と、まるで史記にいう、一日に千里を走り血のような汗を流す汗血馬がいまにも駆け出しそうな姿である。
写生から出発して写生を超える。それが私たちの課題であり、そのためには私たちの生命力のすべてをかけて対象に迫らねばならない。そうすることによって、この句のように対象の生命力を引き出すことができるのだ。(中正)

日本一の富士山には四季折々の姿の変化がある。又春夏秋冬のどの変化にも富士山としてのそれぞれの顔が見える。雪の無い夏の富士山の荒々しいそして逞しい印象を受けた作者はその姿を悍馬の如く立ち上がると表現した。夏富士らしい感じを見事に表現した。(汀子)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十六年十二月号)


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2017年12月15日

私のホトトギス 〜雑詠句評〜(平成十一年二月號より)

仙入の霧に隠れしあと知らず        中杉髏「(なかすぎたかよ)
(せんにゅうのきりにかくれしあとしらず)


仙入(せんにゅう)は初秋に分類されるウグイス科の小禽で、体は鶯色。山本健吉編『最新俳句歳時記』によると、秋、渡りのとき本州・北海道を通過するとある。なかなか見出しにくいともある。講談社『日本大歳時記』によると、日本で棲息する仙入の多くは北海道で蕃殖し、中でも蝦夷仙入は大形で鳴声がホトトギスに似て、北海道のホトトギスと言われていると。また島仙入といって伊豆の諸島でも蕃殖するもの、牧野仙入といって尾瀬で蕃殖したものもあるという。例句のないところを見ると、なかなか俳人の目に止まりにくい鳥なのであろう。幸運にも作者は仙入を知っておられ、それに会われたのだが、会ったと思ったら霧の中へ見失い、それきりになってしまったのである。下五で突き放したために却って仙入に対する思いが深くなったと思う。(比奈夫)

仙入というのは余り見かけることのないウグイス科の小禽である。北海道で繁殖する蝦夷仙入は鳴き方が時鳥に少し似ているところから北海道の時鳥とも言われるそうだ。「仙入の霧に隠れしあと知らず」と読み下すと仙入を見たこともその後のことも幻想的に霧が覆ってしまい、いたく読者の詩情を刺激する。何故か中島敦の『山月記』が頭を過った。(汀子)


中杉髏「
(「ホトトギス」平成十一年三月号)


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