2017年07月15日

円虹『ホトトギスの魅力(七)』

四誌の主宰者である「年輪」の橋本鶏二にしろ、「菜殻火」の野見山朱鳥にしろ、「山火」の福田蓼汀にしろ、「青」の波多野爽波にしても、みな、虚子先生の信頼厚く期待を掛けられた人々であり、「ホトトギス」の中堅作家として三句欄を賑わしていた訳でありますから突如「四誌連合」なるものが出現し「ホトトギス」を離脱したということは一寸理解し難いことであったかも知れません。
しかし、伏線として考えられることは、野見山朱鳥の句に対し句集「天馬」の序に見られる虚子先生の警告や波多野爽波を賞掲しつつも句集「舗道の花」の

金魚玉とり落しなば舗道の花        波多野爽波(はたのそうは)
きんぎょだまとりおとしなばほどうのはな


が限界視されていたこと等から先生の俳句の世界から多少逸脱してゆく懸念とホトトギスの人々との間の違和感があったのではないかと思われます。
一方、「ホトトギス」の側にも、家庭団欒的な「末子俳句」や若者感覚的な「アロハ俳句」が主流となって俳句と真面目に取組もうとする四誌の若者達との間に意識の食い違いが生じたことも事実であったと思われます。今から思いますとそれも花鳥諷詠の一面であり別段目に角を立てる程のことでも無かったと思うのですが、勢いというのは怖ろしいもので一旦生じた反発は仲々元に戻すということは難しいものがあります。
「四誌連合」が目指した目標は、或意味では虚子先生が重視されていたことと同様の新人の顕賞≠ニいうことでありました。しかし、老境に入って幼児のような天真爛漫の世界を楽しむ一方、花鳥諷詠、客観写生に対抗する勢力には断固たる態度で闘志を燃やされる先生の幅広い視野というものに気付くことは難しかったのかも知れません。
とは云え、「四誌連合」からは、宇佐見魚目、馬場駿吉、友岡子郷をはじめ、大峯あきら、山本洋子、岡田日郎というような現在活躍している人々が排出され、その流れの中から田中裕明、岸本尚毅、中岡毅雄などの俊英が現れたことは広い意味で伝統俳句にとって大変有意義な仕事を成し遂げたものと云えましょう。
俳句は「座の文学」と云われますようにともすれば属する小グループを中心に「サロン」化しがちであります。虚子先生のような偉大な指導者は別として世の中に「先生」と称される人達は溢れており、それぞれが価値の相対性を主張し合って譲らなくなれば、結局、「月並化」「低俗化」に向かって行くほかはないと思います。
丁度、終戦から十年余りの昭和二、三十年代の俳壇は、「ホトトギス」対「アンチ・ホトトギス」との戦いであったように思われます。「ホトトギス」自体は超然としているつもりであっても時代の趨勢は「結社」から「協会」へ「結社誌」から「総合誌」へと移ってゆきました。現在、「日本伝統俳句協会」、「俳人協会」、「現代俳句協会」と三協会鼎立の状態となっておりますが、「四誌連合」は一面、「前衛」と「伝統」の橋渡しを行ないながら、「伝統」を擁護するという意味では、「日本伝統俳句協会」のさきがけ的な存在であったと云えるのかも知れません。
(つづく)


中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(七)より)


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2017年07月01日

円虹『ホトトギスの魅力(六)』

虚子先生の目に、稍々活気を呈しつつある≠謔、に映り心密かに祝福して居られた「ホトトギス」の水面下で或異変が生じつつあった事に誰も気付いてはおりませんでした。私は「ホトトギス」の他に池内たけし先生の「欅」と波多野爽波さんの「青」に投句をしており「ホトトギス」では連続巻頭になって写生俳句に夢中といった時のことです。昭和二十八年十月、「新人層の結集を図る」という旗印を掲げた「青」の創刊号から参加した私にとって波多野爽波という人は眩しい存在でした。句集「舗道の花」の序文に虚子先生は「一言にして云へば、爽波君の句などこそ、現代俳人の感覚を現はして居る、現代俳句と云ってよからうと思ふ。然も現代俳人と称へる者の陥って居る、怪奇蕪雑な措辞でなく、洗練された、形の整った、いい意味の近代的俳句である。」とされ、

冬空や猫塀づたひどこへもゆける       波多野爽波(はたのそうは)
(ふゆぞらやねこへいづたいどこえもゆける)

初鏡閨累々と横たはり            同
(はつかがみねやるいるいとよこたわり)

赤と青闘ってゐる夕焼けかな         同
(あかとあおたたかっているゆやけかな)


等二十七句を抜粋し推挙しておられます。
「青」創刊号には「山中湖雑詠」五句を投じられ、一周年には、有名な「『青』への言葉」をお寄せになっておられます。句集「舗道の花」は書林「新甲鳥」の昭和俳句叢書十巻の中の一つでその顔触れは、素十、波郷、立子、龍太、林火、朱鳥、多佳子、草田男、誓子という錚々たるものでありました。まことに伝統俳句の若きプリンスでありホープそのものであったと云えましょう。
昭和三十二年の「青」十二月号に「四誌連合会発足に当って」と題し、爽波自ら起草した一文が掲げられております。それは、『今回「山火」「年輪」「菜殻火」「青」の四誌に依って、四誌連合会≠ェ生まれることになりました。本会の構想は今春「年輪」創刊大会のため名古屋に赴いた折に、鶏二・朱鳥両氏との間に期せずして沸き上がったものであり、その後蓼汀氏の賛同を得て愈々実現への確信を深め、約半歳の日を経て漸く爰に発足の運びとなった次第であります。―中略―詮衡委員として四誌主宰者の外に、中村草田男氏の御参加を得ましたことは四誌連合会の出発に錦上花を添へるものと云ふことができませう。』と書かれて有りました。「伝統の正しい継承と逞しい更新の下に伝統俳句の明日を担う新人を顕賞する」ことを目的に結成された四誌連合は既に在った結社賞を強化し、前衛化しつつある俳壇に向かって伝統俳句の側から反撃を加えることと俳壇から超然としている伝統俳句の内部に向かっても覚醒を呼びかけるものであったと思われるのですが、「ホトトギス」の巻頭以外に賞≠ヘ不要であるという虚子先生のお考えに些か添わない面があったのかも知れません。
兎も角、先生ご存命中に生じたこの動きは「ホトトギス」に反旗を翻すものと誤解され、かつ、各所で物議をかもし、その結果「ホトトギス」に育まれ期待された新人層が相次いで離脱していくという事態に発展いたしました。(つづく)

中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(六)より)


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2017年06月15日

円虹『ホトトギスの魅力(五)』

このようにして虚子先生が慈しみ育まれた新人が天賦の個性を開花させた花園こそ「極楽の文学」即ち、花鳥諷詠のいわゆる「壺中の天地」であります。
明治・大正・昭和・平成にかけ、千二百五十号に達するホトトギスの歴史は俳壇の歴史であると言っても過言ではありません。地味で目立たないように見える一号一号の中にも伝統の土壌は営々と受継がれているのであり、大家となり独立して辺境に鉾を進める傍系まで含めますと、それは正しく大いなる裾野を曳く秀嶺富士の姿であり、宇宙に煌く大星座の観さえして参るのであります。
因みに、私の愛誦する代表的なホトトギス俳句を揚げさせていただきますと、

去年今年貫く棒の如きもの          高浜虚子(たかはまきょし)
(こぞことしつらぬくぼうのごときもの)

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり        飯田蛇笏(いいだだこつ)
(くろがねのあきのふうりんなりにけり)

白樺に月照りつゝも馬柵の霧         水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)
(しらかばにつきてりつつもませのきり)

流氷や宗谷の門波荒れやまず         山口誓子(やまぐちせいし)
(りゅうひょうやそうやのとなみ あれやまず)

葛城の山懐に寐釈迦かな           阿波野青畝(あわのせいほ)
(かつらぎのやまふところにねじゃかかな)

苗代に落ち一塊の畦の土           高野素十(たかのすじゅう)
(なわしろにおちいっかいのあぜのつち)

泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ        芝不器男(しばふきお)
(およぎめのくずがくるまではじらいぬ)

ぜんまいののの字ばかりの寂光土       川端茅舎(かわばたぼうしゃ)
(ぜんまいのののじばかりのじゃっこうど)

冬山の倒れかゝるを支へ行く         松本たかし(まつもとたかし)
(ふゆやまのたおれかかるをささえゆく)

萬緑の中や吾子の歯生え初むる        中村草田男(なかむらくさたお)
(ばんりょくのなかやあこのははえそむる)

昃れば春水の心あともどり          星野立子(ほしのたつこ)
( ひかげればしゅんすいのこころあともどり)

稲妻のゆたかなる夜も寐べきころ       中村汀女(なかむらていじょ)
(いなづまのゆたかなるよもねべきころ)

赤富士に露滂沱たる四辺かな         富安風生(とみやすふうせい)
(あかふじにつゆぼうだたるしへんかな)

みちのくの雪深ければ雪女郎         山口青邨(やまぐちせいそん)
(みちのくのゆきふかければゆきじょろう)

凍る断層黄河文明起りし地          長谷川素逝(はせがわそせい)
(こおるだんそうこうがぶんめいおこりしち)

底紅の咲くとなりにもまなむすめ       後藤夜半(ごとうやはん)
(そこべにのさくとなりにもまなむすめ)

鳥のうちの鷹に生れし汝かな         橋本鶏二(はしもとけいじ)
(とりのうちのたかにうまれしなんじかな)

炎天を駆ける天馬に鞍を置け         野見山朱鳥(のみやまあすか)
(えんてんをかけるてんばにくらをおけ)

冬空や猫塀づたひどこへもゆける       波多野爽波(はたのそうは)
(ふゆぞらやねこへいづたいどこえもゆける)


等々、一寸、思い出しただけでもこの通りで、これらの作家達には他にもまだまだ沢山の秀句があり、ここに揚げられなかったその後の人々の中にも掲句に劣らぬ名作の数々が生れ続けているのであります。
しかし、ホトトギスの歴史は必ずしも順風満帆であった訳ではありません。それは、虚子先生を中心とする曼荼羅のような世界であるとは言え、やはり、様々な人間関係によって織りなされてきた感情の絡む複雑な世界であって、ホトトギスの外は勿論の事、ホトトギスの内部においても派を異にし、反目し、離脱するという渦巻が生じてゆくことは致仕方の無いことであったのかも知れません。
しかし、そういう大小様々な渦を取り込みつつも花鳥諷詠という一大潮流となって「過去から現在へ」、「現在から未来へ」とつながれてゆく訳であります。
自然は一日として変化しない日はありません。様々の因果関係は生命存在の驚くべき事実となって現われます。次回は、その渦の一つであった「四誌連合」が何故生じたかを一人の生き証人としてお話させて戴きます。(つづく)


中杉髏「
(「円虹」ホトトギスの魅力(五)より)


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