2015年11月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  三十二. 短日(たんじつ)と 狐火(きつねび)

平成二十四年十二月の兼題は「短日」と「狐火」であります。

短日や汽笛するどき埠頭貨車          播水(ばんすい)
(たんじつやきてきするどきふとうかしゃ)


五十嵐播水は元神戸市民病院院長で「九年母」主宰でありました。作品には神戸港の埠頭や移民を素材にした句が多く、中でも「短日」は得意な季題であったようです。この句は第三句集『埠頭』に収められております。

短日の車窓たたきて別れけり          播水(ばんすい)
(たんじつのしゃそうたたきてわかれけり)


第四句集『石蕗の花(つわのはな)』所収の句。“車窓をノックして別れた”という只それだけのことでありますが、短日の感じが実に良く把握されております。汽車でも電車でも自動車でも何でも構いませんが車窓越しに笑い乍ら小さく手を振って別れる光景が目に浮かぶようです。

短日の群れ買う顔のをみならや         草田男(くさたお)
(たんじつのむれかうかおのおみならや)

短日や母に告ぐべきこと迫る
(たんじつやははにつぐべきことせまる)


第一句集『長子』所収。中村草田男の句はもう少し人間の内面に踏み込んで「短日」の焦燥感をリアルに捉えているように思います。前句の場合は主婦達の日常に於ける感情を、後句の場合は母という存在の前での独身青年の心情を「短日」という季題に託して巧みに表現し得ているように思います。

狐火の燃えゐて遠野物語            正俊(まさとし)
(きつねびのもえいてとおのものがたり)

狐火の近づくごとく遠のくも
(きつねびのちかづくごとくとおのくも)


国宝犬山城の十二代城主、成瀬正俊の句です。平成三年作で第六句集『院殿(いんでん)』に収められております。「遠野物語」は柳田國男が遠野の人佐々木鏡石(ささききょうせき)から聞いた遠野地方に伝わる「家の神」や「川童」等の民話を蒐めた物語であります。前句、「狐火」と「遠野物語」の取り合わせがまことに絶妙で、これを「燃えゐて」と軽く抑えて余情を引き出した表現が心憎いばかりの巧みさです。後句も「近づくごとく遠のく」というところに「狐火」の玄妙さが感じ取れます。

狐火の出てゐる宿の女かな           虚子(きょし)
(きつねびのでているやどのおんなかな)

狐火の減る火ばかりとなりにけり        たかし
(きつねびのへるひばかりとなりにけり)


「狐火」は目にして写生するというよりも想像力を逞しくして表現すべき神秘的、幻想的な季題であります。元々は「王子の狐火」と言って大晦日に王子稲荷に関八州の狐が集まって官位を定めたという伝聞に依るもので、狐が火を吐くというのは狐が咥えた人獣の骨の燐が燃えることなのでありましょう。後々、一般に山野で見る燐火を「狐火」と云うようになりましたが、そこにはどこか泉鏡花の小説を見るような不気味で面白い世界に通じるものがあるように思われます。

     
(平成二十四年十二月八日 葉月会「道草」より)


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2014年11月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十. 枯木(かれき)と 餅(もち)

平成二十三年十二月の兼題は「枯木(かれき)」と「餅(もち)」に致しました。
今年(平成二十三年)は東日本の津波や放射能禍(ほうしゃのうか)を引き起こした大震災に始まり、各地では集中豪雨による水禍(すいか)が頻発(ひんぱつ)し、世界でも政変や通貨不安が拡大するという大変な一年になりました。
今月の「枯木」という季題は私にとって忘れ難(がた)い、思い出深いものであります。

去り行くか枯木に凭れゐし男          隆世(たかよ)
(さりゆくかかれきにもたれいしおとこ)

この句は大学生の頃、真夜中過ぎの須磨寺の大池(おおいけ)の畔(ほとり)で作りました。昭和三十二年の「ホトトギス」六月号の巻頭句ですが、いろんな人から評されて私の代表句のようになっております。偶然池の向うに私と同じように枯木に凭(もた)れている男を見つけその男が枯木を離れて私の目の前を通り過ぎて行くまでの時間的経過を描いたものです。「第三の男」という当時の映画のラストシーンが潜在意識(せんざいいしき)になっていたかと思います。この句は又、虚子記念文学館の俳磚(はいせん)となって虚子先生の「去年今年貫く棒の如きもの(こぞことしつらぬくぼうのごときもの)」の傍(そば)に飾られています。

大枯木より大枯木まで十歩           素十(すじゅう)
(おおかれきよりおおかれきまでじゅっぽ)

素十の第二句集『雪片(せっぺん)』所収の句です。並び立つ大枯木の中の二本の間が十歩であったという単純な写生ですが、枯木の佇(たたず)まいや作者の歩みがはっきりと目に浮かぶ名吟(めいぎん)です。

赤く見え青くも見ゆる枯木かな         たかし
(あかくみえあおくもみゆるかれきかな)

昭和五年三月の「ホトトギス」雑詠(ざつえい)の句。第一句集『松本たかし句集』に収められております。雑詠句評会で虚子は「悪く言えば神経衰弱的(しんけいすいじゃくてき)、よく言えば常人(じょうじん)に異なる詩人の頭」と言い、「此(こ)の作者にとっては真実なのである。誇張(こちょう)して言ったものでもない。又嘘を言ったものでもない。」「本当のことを大胆に言った。」と評しております。

餅焼く火さまざまの恩にそだちたり       草田男(くさたお)
(もちやくひさまざまのおんにそだちたり)

第四句集『来し方行方(こしかたゆくえ)』に所収。「餅焼くや」ではなく「餅焼く火」とした所が肝心です。
「餅」にまつわるさまざまの思いが「火」に集中しております。「餅を焼くたびに故郷松山で父母代わりに自分を育ててくれた祖母との生活のイメージが先(ま)ず蘇(よみが)えってくる」という草田男自身の述懐(じゅっかい)があります。第三句集『萬緑(ばんりょく)』にも「餅白くみどり児の唾泡細か(もちしろくみどりごのつばあわこまか)」や「詩(し)よりほかもたらさらぬ夫(つま)に夜の餅」があり、その詩精神(しせいしん)はまことに豊かです。

ふくれ来る餅に漫画を思ひけり          風人子(ふうじんし)
(ふくれくるもちにまんがをおもいけり)

昭和二十八年の「ホトトギス」六月号の巻頭句です。餅を焼いていると、一ヶ所が吹き始めるとつぎつぎ思わぬところがふくれ出します。その意外性から思わず漫画のようだと思ったのでしょう。漫画にある「吹出し」という台詞の書かれた囲みの部分まで連想させ、その無邪気な着想(ちゃくそう)はすべての読者を魅了します。


(平成二十三年十二月十一日 葉月会「道草」より)


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2013年11月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  八. 冬の山(ふゆのやま)と 狐(きつね)

十二月の季題は「冬の山(ふゆのやま)」と「狐(きつね)」です。「冬の山」は「冬山(ふゆやま)」でも差(さ)し支(つか)えありません。
「冬山」ですぐ念頭(ねんとう)に浮かぶのは昭和十九年一月の松本たかしの「天龍渓谷(てんりゅうけいこく)の連作であります。「信遠二国の境天龍渓谷の最も嶮しき辺りを一人辿る、時に戦局漸く重圧を加ふ(しんえんにこくのさかいてんりゅうけいこくのもっともけわしきあたりをひとりたどる、ときにせんきょくようやくじゅうあつをくわう)」という前書(まえがき)のある有名な連作二十一句です。
中でも

冬山の倒れかゝるを支へ行く                たかし
(ふゆやまのたおれかかるをささえゆく)

冬山の我れを厭ひて黙したる
(ふゆやまのわれをいといてもくしたる)

行き行きて冬山の威の許すなき
(ゆきゆきてふゆやまのいのゆるすなき)

冬山の威に天龍も屈し行く
(ふゆやまのいにてんりゅうもくっしゆく)


という句は病身(びょうしん)のため能(のう)の名門(めいもん)を継(つ)げず戦時下にあって俳句に生きるしかなかった松本たかしが命懸けで魂魄(こんばく)の限りを尽(つ)くして詠(うた)い上げた名品(めいひん)でありまして何(いず)れも第五回読売文学賞を受賞した句集『石魂(せっこん)』の代表作であります。たかし自身、昭和二十三年「笛(ふえ)」三月号の「一寸(ちょっと)怒鳴(どな)って置くこと」という文章の中で「十九年の一月前後、自分は天龍渓谷を歩いて句を作った。自分の生命(せいめい)は、絶大(ぜつだい)、峻厳(しゅんげん)な自然力(しぜんりょく)の前に慴伏(しょうふく)し且(か)つ昂揚(こうよう)した。同時に深刻(しんこく)な戦時下(せんじか)に置かれた日本人としての生活の苦しさをも痛切(つうせつ)に感じない訳にはいかなかった。いかに生くべきか、いかに動くべきか−。それ等(ら)の思(おもい)が渾融(こんゆう)し、沸騰(ふっとう)し、沈潜(ちんせん)していくつかの作品となった。」「たとひ(たとい)その価値はどうあらうとも(あろうとも)、当時戦争の真只中(まっただなか)に於(お)ける、自分の存在の全部を懸(か)けての諷詠(ふうえい)だったといふことは(いうことは)出来る。自然と己(おのれ)とを貫通(かんつう)する生(せい)の象徴(しょうちょう)だったと言ってもいゝ(いい)。そして大切なことだが、其処(そこ)にこそ写生(しゃせい)の本義(ほんぎ)があるのだと云ひたい(いいたい)。」と言っております。僅(わず)か十七文字の俳句ではありますが全身全霊(ぜんしんぜんれい)を打ち込めばこのようにテンションの高い芸術作品が生れるということを学ばねばなりません。

すっくと狐すっくと狐日に並ぶ               草田男(くさたお)
(すっくときつねすっくときつねひにならぶ)


『萬緑(ばんりょく)』所収(しょしゅう)の昭和十四年の作品であります。「すっくと狐すっくと狐」と同じ言葉を二度繰り返すことによって狐の姿態(したい)と習性(しゅうせい)を的確に表し「日に並ぶ」ということで日当たりの良い山中からじっとこちらを伺っている狐の様子が目に見えるようです。メルヘンの世界の得意な草田男のこの狐達は何と人なつこい表情をしていることでしょうか。

短日や狐は檻にあらわれず                 うろお
(たんじつやきつねはおりにあらわれず)


「九年母(くねんぼ)」の代表作家の永岡(ながおか)うろお氏は五十嵐播水(いがらしばんすい)先生に師事(しじ)され『一僧(いっそう)』という句集を一冊上梓(じょうし)されました。
私は高校生の頃、播水選にどんどん入選するうろお氏を羨望(せんぼう)の眼(め)で眺(なが)めたものです。『一僧』の初期に作られたこの句は、「短日(たんじつ)」の句であって「狐」の句ではありませんが、すぐれた写生句であると思います。動物園の写生ですが「狐の檻(おり)」であるから良いのであって「狸(たぬき)」では「狐」の代役は勤まりません。



(平成二十二年十二月十日 葉月会「道草」より)




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