短日や汽笛するどき埠頭貨車 播水(ばんすい)
(たんじつやきてきするどきふとうかしゃ)
五十嵐播水は元神戸市民病院院長で「九年母」主宰でありました。作品には神戸港の埠頭や移民を素材にした句が多く、中でも「短日」は得意な季題であったようです。この句は第三句集『埠頭』に収められております。
短日の車窓たたきて別れけり 播水(ばんすい)
(たんじつのしゃそうたたきてわかれけり)
第四句集『石蕗の花(つわのはな)』所収の句。“車窓をノックして別れた”という只それだけのことでありますが、短日の感じが実に良く把握されております。汽車でも電車でも自動車でも何でも構いませんが車窓越しに笑い乍ら小さく手を振って別れる光景が目に浮かぶようです。
短日の群れ買う顔のをみならや 草田男(くさたお)
(たんじつのむれかうかおのおみならや)
短日や母に告ぐべきこと迫る
(たんじつやははにつぐべきことせまる)
第一句集『長子』所収。中村草田男の句はもう少し人間の内面に踏み込んで「短日」の焦燥感をリアルに捉えているように思います。前句の場合は主婦達の日常に於ける感情を、後句の場合は母という存在の前での独身青年の心情を「短日」という季題に託して巧みに表現し得ているように思います。
狐火の燃えゐて遠野物語 正俊(まさとし)
(きつねびのもえいてとおのものがたり)
狐火の近づくごとく遠のくも
(きつねびのちかづくごとくとおのくも)
国宝犬山城の十二代城主、成瀬正俊の句です。平成三年作で第六句集『院殿(いんでん)』に収められております。「遠野物語」は柳田國男が遠野の人佐々木鏡石(ささききょうせき)から聞いた遠野地方に伝わる「家の神」や「川童」等の民話を蒐めた物語であります。前句、「狐火」と「遠野物語」の取り合わせがまことに絶妙で、これを「燃えゐて」と軽く抑えて余情を引き出した表現が心憎いばかりの巧みさです。後句も「近づくごとく遠のく」というところに「狐火」の玄妙さが感じ取れます。
狐火の出てゐる宿の女かな 虚子(きょし)
(きつねびのでているやどのおんなかな)
狐火の減る火ばかりとなりにけり たかし
(きつねびのへるひばかりとなりにけり)
「狐火」は目にして写生するというよりも想像力を逞しくして表現すべき神秘的、幻想的な季題であります。元々は「王子の狐火」と言って大晦日に王子稲荷に関八州の狐が集まって官位を定めたという伝聞に依るもので、狐が火を吐くというのは狐が咥えた人獣の骨の燐が燃えることなのでありましょう。後々、一般に山野で見る燐火を「狐火」と云うようになりましたが、そこにはどこか泉鏡花の小説を見るような不気味で面白い世界に通じるものがあるように思われます。
(平成二十四年十二月八日 葉月会「道草」より)

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