2015年10月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  三十一. 鷹(たか)と 木の葉髪(このはがみ)

平成二十四年十一月の兼題は「鷹」と「木の葉髪」に致しました。

鳥のうちの鷹に生れし汝かな          鶏二(けいじ)
(とりのうちのたかにうまれしなんじかな)


橋本鶏二は高野素十の第三句集『野花集(やかしゅう)』の解説をした人です。客観写生に徹した点では素十に次ぐものがありました。しかし、虚子から「鶏二は作者である。」と評されたようにやや主観的な作意の見える嫌いがありました。掲出の句は「ホトトギス」昭和二十年三月号の巻頭句で第一句集『年輪(ねんりん)』所収の鶏二の代表句として有名であります。これは戦時中、鶏二が大阪で徴用工として働いていた工場での空襲体験と故郷の伊賀の高原で見た鷹の群翔とが混然一体となって生じた相に依り得られた群作中の一句とのことであります。「鳥のうちの鷹」とは鷹の賛美であると共に作者自身の自負でもあります。この句は後日、虚子によって「ホトトギス」雑詠選集予選稿から外されました。他に鶏二には

鷹の巣や太虚に澄める日一つ
(たかのすやたいきょにすめるひひとつ)

盤石を掴みて鷹の双びけり
(ばんじゃくをつかみてたかのならびけり)

鷹匠の虚空に据ゑし拳かな
(たかしょうのこくうにすえしこぶしかな)


などがあります。

鷹一つ見つけてうれし伊良古崎         芭蕉(ばしょう)
(たかひとつみつけてうれしいらござき)


『笈の小文(おいのこぶみ)』の中にあるこの句は、芭蕉が三河の旅の途次、萬葉集で伊勢の名所とされる伊良古崎で鷹の初渡りが見られることを知り、憧れて立ち寄ったその場でいみじくも一羽の鷹が遠望されたことに感激して作られたものであります。

木の葉髪文芸永く欺きぬ            草田男(くさたお)
(このはがみぶんげいながくあざむきぬ)


第一句集『長子』冬の部所収の句。草田男は倉田百三の『出家とその弟子』『愛と認識との出発』により文芸ヘの憧れを抱くのですが、後に「幼い頃から文芸の世界に魅了された私は、いつの間にかフィクションの世界と現実の世界を混同してしまっていた。しかしふと気付いてみれば、一切は虚妄であったとの思いのみが徒に痛切である。」と告白しております。大学を卒業し、社会に出てその永い夢から醒めた時の思いが強く籠められております。

木の葉髪梳かせ昔は昔はと           しげる
(このはがみすかせむかしわむかしわと)


「ホトトギス」の昭和三十年四月号(通算七百号)の雑詠二句欄上位にある大阪の篠塚しげるという人の句です。私は作者とは全く面識が無いのに「木の葉髪」と言えば何故かこの句が思い出されるから不思議です。祇園の置屋のような所なのでしょうか。元名妓で通した女将が弟子の芸妓達に木の葉髪を梳かせながら華やかな過去を思い出しては「昔は良かった、昔は良かった。」と繰返し口癖のように言っている様子がどこか可笑しくもあり哀れでもあります。


     
(平成二十四年十一月十一日 葉月会「道草」より)


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2014年10月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十九. 落葉(おちば)と 切干(きりぼし)

平成二十三年十一月の兼題は「落葉(おちば)」と「切干(きりぼし)」であります。
私は日本画の菱田春草(ひしだしゅんそう)の「落葉」という絵がとても好きでいつもこんな雰囲気の俳句を作ってみたいと念願致しております。幹(みき)と落葉だけが描かれたこの絵からは不思議と静寂(せいじゃく)で無限に深まる空間が感じられます。地面が描かれていないのに立体感や遠近感があるのは「落葉」の存在によるものです。ここには明らかに空気が描かれております。
このような静謐(せいひつ)な世界は、晩年病気療養中の長谷川素逝(はせがわそせい)の句境(くきょう)からも見出せます。

たまさかの落葉の音のあるばかり          素逝(そせい)
(たまさかのおちばのおとのあるばかり)

はなれたる朴の落葉のくるあひだ
(はなれたるほおのおちばのくるあいだ)


素逝は句集『砲車(ほうしゃ)』で名をなした作家ですが、『定本素逝句集(ていほんそせいくしゅう)』では一切(いっさい)の戦争俳句を捨て去りました。これはなかなか真似の出来ることではありません。
「落葉」と言えば俳句近代化の先駆(さきが)けとなった水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の

むさしのの空真青なる落葉かな           秋桜子(しゅうおうし)
(むさしののそらまさおなるおちばかな)


という句やスローモーション映画を見るような松本たかしの写生句が印象に残ります。

朴の葉の大きくぞなり落ち来る           たかし
(ほおのはのおおきくぞなりおちきたる)


次は戦後俳句の第一人者と言われた飯田龍太(いいだりゅうた)が家の裏山を歩く父蛇笏(だこつ)を詠んだ作品です。

手が見えて父が落葉の山歩く            龍太(りゅうた)
(てがみえてちちがおちばのやまあるく)


「手が見えて」というのはバランスを取ろうとする老人特有の動きを敏感に捉えたものです。ふと見掛けた老父(ろうふ)の姿を見守り気遣う龍太の心が伝わって参ります。

「切干(きりぼし)」は割干(わりぼし)とか千切(せんぎり)のように大根を薄く切って天日(てんぴ)に干したものですが、煮物や漬物にされるのが普通のようです。終戦後、欠食児童(けっしょくじどう)であった私などには生々しい「切干」の甘い歯ごたえの味が忘れられません。

切干やいのちの限り妻の恩             草城(そうじょう)
(きりぼしやいのちのかぎりつまのおん)


日野草城(ひのそうじょう)は華やかであった若年の頃に比べ晩年は肺結核で病臥(びょうが)の身となり、淋しい日々を送りました。この句は看病に尽くす妻晏子(やすこ)への感謝の念を詠ったもので第七句集『人生の午後』に収められております。また、緑内障(りょくないしょう)で右目を失明した草城は

右眼には見えざる妻を左眼にて         
(うがんにはみえざるつまをさがんにて)


という無季(むき)の句も作っております。彼は新興俳句(しんこうはいく)の旗手(きしゅ)として連作俳句や無季俳句を主張し虚子(きょし)から「ホトトギス」を破門(はもん)されましたが、後年、主治医五十嵐播水(いがらしばんすい)の取成しもあって虚子に許され「ホトトギス」に復帰いたしました。

このように季題には境涯(きょうがい)の思いを凝縮結晶(ぎょうしゅくけっしょう)させることによって人々の共感を呼び覚まし感動の連鎖を呼び起こす力があります。


(平成二十三年十一月五日 葉月会「道草」より)


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2013年10月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  七. 大綿(綿虫)(おおわた(わたむし))と 茶の花(ちゃのはな)

十一月の季題は、「大綿(綿虫)(おおわた(わたむし))」と「茶の花(ちゃのはな)」に致しました。
この「大綿(綿虫)」は虚子(きょし)の『新歳時記(しんさいじき)』には無く、汀子(ていこ)の『新歳時記』に載せられております。「蚜虫(あぶらむし)の一種で、初冬(しょとう)のころ、風もない静かな日に小さな綿のように、空をゆるやかに飛んでいる。」とあり、「綿虫(わたむし)」はその傍題(ぼうだい)です。

中村草田男(なかむらくさたお)の第二句集『火の島』の中に

停車場の大綿たれにかゝはりある              (昭和十三年)
(ていしゃばのおおわたたれにかかわりある)
  
前髪に大綿はやも嬰児ならず                (昭和十四年)        
(まえがみにおおわたはやもえいじならず)


という作例があります。
初冬のやや仄暗(ほのぐら)い印象は綿虫が場末や田園に舞っていることが多いからかも知れません。「停車場」という場面設定も的確です。「前髪に大綿」という写生から吾が子を腕に抱いてその成長をいとおしむ親の思いが良く表現されております。
私もこの「綿虫」という季題が好きです。私の第二句集『嬬恋(つまこい)』に

日輪へ綿虫のぼりくだりして                隆世(たかよ)
(にちりんへわたむしのぼりくだりして)
日輪へ綿虫のみちはるかなる
(にちりんへわたむしのみちはるかなる)           


という句を入集(にっしゅう)しております。日輪(にちりん)の前で舞いながら塔(とう)をつくる綿虫がふっと消えていなくなってはまた集まって来て同じ動作を繰り返すことに何か生の宿命とか儚(はかな)さを感じさせられました。

「茶の花(ちゃのはな)」もまた穏やかな初冬の日和(ひより)を感じさせてくれる親しみのある季題です。
波多野爽波(はたのそうは)が改めて俳句に開眼(かいがん)させられた句として好んで推賞(すいしょう)するものに

母が家ちかく便意もうれし花茶垣              草田男(くさたお)
(ははがやちかくべんいもうれしはなちゃがき)


という草田男の第五句集『銀河依然(ぎんがいぜん)』に収められている、昭和二十四年の句があります。
爽波(そうは)は「花茶垣(はなちゃがき)の句、全(まった)く天衣無縫(てんいむほう)とでも言うか、「便意(べんい)など頗(すこぶ)る個(こ)に即(そく)した事柄(ことがら)が一句のテーマとなり得たことがあるだろうか。また「便意もうれし」と、「うれし」という言葉で「便意」をあたたかく包み込んだところ、また字余りにはなるが「母が家ちかく」と頗(すこぶ)る自然でまた一句としては必然である場所の設定など、こういうことが一句として表現され、そして読み手の胸に深い共感(きょうかん)を与えることなど、それまでの私の句作りの中では凡(およ)そ考えもしなかったことであった。」(沖・昭和六十二年五月号)と讃(たた)えております。

茶が咲いていちばん遠い山が見え              あきら
(ちゃがさいていちばんとおいやまがみえ)


大峯(おおみね)あきら自選句集(じせんくしゅう)『星雲(せいうん)』の中で更に自ら抜粋(ばっすい)した十四句の中の一句です。第四句集『吉野(よしの)』の中にある平成元年の作です。澄み渡った空の彼方(かなた)に、それも最も遠い山が茶の花の咲いた畠(はたけ)から見はるかされるというどこか懐かしさを覚える作品です。作者のご夫人(ふじん)が茶処(ちゃどころ)の清水(しみず)ご出身と聞けば尚更(なおさら)のこと余情(よじょう)が広がります。


(平成二十二年十一月七日 葉月会「道草」より)




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