猿を聞く人捨子に秋の風いかに 芭蕉(ばしょう)
(さるをきくひとすてごにあきのかぜいかに)
蕉風漸く成熟を見せる『野晒紀行』の中の一句。秋風に泣く捨子の声を、哀猿の叫びに断腸の思いをする詩歌人達は如何に聞くであろうかと疑いながら「唯是天にして、汝の性の拙きを泣け。」と言って立ち去る芭蕉に俳人の非情さを感じます。しかし、本来の芭蕉は
塚も動け我泣こゑは秋の風
(つかもうごけわがなくこえはあきのかぜ)
のように何事にも感動し易い激情の持主であって、その後、「わび」「さび」の閑寂の境地を拓いたのは俳諧の非情精神に徹し、花鳥に化体した言葉で以って詩心を封じ込めたからでありましょう。現代では、同じ「秋風」であっても、感じ方や捉え方に時代を超えた違いがあるように思われます。例えば、人間探求派とされる中村草田男の
ふりかへる秋風さやぎ已にとほし 草田男(くさたお)
(ふりかえるあきかぜさやぎすでにとおし)
は、「秋風」そのものの実相を回想や郷愁と共に捉えたものであり、また、
軍隊の近づく音や秋風裡
(ぐんたいのちかづくおとやしゅうふうり)
は近づいてくる軍靴の響きから迫り来る時代への不安感が表されております。「秋風」を知的、感覚的、暗示的、象徴的に捉えるのが現代俳句の特性と言えるのでありましょう。
「稲」は柳田國男の所謂『海上の道』を通って島から島へと伝播され、梅雨など水稲栽培に適した日本の国土に定着し、やがてわが国に稲作を基とする農耕文化や「結」の思想を生むことになるのであります。俳句は特に稲作との関りが深く歳時記の大半は稲に関係するものとなっております。
中学生朝の眼鏡の稲に澄み 草田男
(ちゅうがくせいあさのめがねのいねにすみ)
第三句集『萬緑』の初めに載せられたこの句は昭和十四年の作であります。戦前の中学には「園芸」という学科があり菜園や田圃がありました。眼鏡を掛けた中学生というのはいかにも汚れを知らない、真面目で利発そうな少年が想起されます。その眼鏡が清々しい朝の稲を映して澄んでいるというのです。いかにもフレッシュな感じが致します。
稲舟の突き放されて進みくる 素十(すじゅう)
(いなぶねのつきはなされてすすみくる)
第一句集『初鴉』所収。茨城県山王村出身の高野素十は自ら“百姓の血筋”と云っておりますが、その作品は清澄高雅で客観写生の第一人者と言っても過言ではありません。彼の作品の多くは田園風景を主題とするものですが、純粋客観写生に徹した結果、宇宙自然の力がそのままに表現されるようになっているのであります。
(平成二十四年十月六日 葉月会「道草」より)

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