2016年04月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  三十七. 鯖(さば)と 麦(むぎ)

平成二十五年五月の兼題は「鯖」と「麦」であります。
松本たかしは病身ながら体調の良い時は長途の旅に出掛け集中して大作を発表致しました。それは物見遊山とは異なり一句を得んがための悲壮感漂うもので精魂込めて自然と対峙する真剣勝負さながらのものでありました。昭和二十八年十月、たかし一行が高知を朝発って十時間余り自動車で五十粁の行程を疾駆して足摺岬に着いた時は日は既に没し目の前には漁り火の凄まじい光景が広がっておりました。宵闇迫る断崖上で作者は次第に気分を昂揚させながら写生を始め徐々に揺曳する幻想の世界へと想念を拡げ深めて鯖火に集中し、遂にこの不朽の名吟を得るに至るのであります。

岬に彳つ我を囲みて鯖火燃ゆ          たかし
(さきにたつわれをかこみてさばびもゆ)

漁り火の長夜の宴岬を囲み
(いさりびのちょうやのうたげさきをかこみ)

海中に都ありとぞと鯖火もゆ
(わだなかにみやこありとぞさばびもゆ)

漁り火の海の都も夜長かな
(いさりびのわだのみやこもよながかな)

鯖の火を遠の都と憧るる
(さばのひをとおのみやことあくがるる)


「海の都」の連想は「平家物語」に由来する謡曲と演能の素養があったためと言えるでありましょう。また、漁り火が鯖火であったことも重要で、青緑色で不思議な唐草模様のある鯖であればこそ、その闇に幽玄の味が加わり海の都の幻影が生きるのであって、仮に若しこれが「烏賊火」であったとすればとてもこの壮大で奥行の深い時空の表現は無理であったろうと思われます。

麦秋の中なるが悲し聖廃墟           秋櫻子(しゅうおうし)
(ばくしゅうのなかなるがかなしせいはいきょ)

堂崩れ麦秋の天藍ただよふ
(どうくずればくしゅうのてんあいただよう)

残る壁裂けて蒲公英の絮飛べる
(のこるかべさけてたんぽぽのわたとべる)

天使像くだけて初夏の蝶群れをり
(てんしぞうくだけてしょかのちょうむれおり)


鐘楼落ち麦秋に鐘を残しける
(しゅろうおちばくしゅうにかねをのこしける)


昭和二十七年、水原秋櫻子は医師としての仕事を離れ、俳句に専心することを決意し、九州、四国、中国、紀伊へと積極的に旅吟を志しました。その第十一句集『残鐘(ざんしょう)』には「軽衣旅情」と題する百二十七句の大作が収められておりますが、その中でもこの「浦上天主堂」の五句は秀抜で秋櫻子俳句の方法論が追い詰めた一典型と迄されております。当時は未だ、原子爆弾を被爆し廃墟となったままの状態で隣に木造の仮聖堂が建てられているだけでありました。この廃墟の前に立った時の言い知れぬ悲しみが秋櫻子の独特の表現技巧と美的イメージに依って見事に再現、昇華、詠歎されているのであります。今、平和を訴えて世界中に持回られている無原罪の聖母「被爆マリア」の真っ黒焦げの顔は、当時は北海道の修道院の祭壇に在り、そこにはありませんでした。


(平成二十五年五月二日 葉月会「道草」より)


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2015年04月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十五. 薔薇(ばら)と 菜殻火(ながらび)

平成二十四年五月の兼題は「薔薇(ばら)」と「菜殻火(ながらび)」であります。
西洋で愛と美の象徴とされる「薔薇」は古来百花の王と言われて参りました。

ロココ美として極まれる薔薇もあり       杞陽(きよう)
(ろここびとしてきわまれるばらもあり)


十八世紀のフランス王朝のサロンに花開いたロココ美は巻貝の螺旋を思わせる八重の薔薇を装飾化した芸術様式であります。ヨーロッパに遊学した京極杞陽(きょうごくきよう)は元子爵、豊岡藩十四代当主、宮内省式部官(くないしょうしきぶかん)という名門で俳誌「木兎(もくと)」を主宰、昭和三十年八月の「ホトトギス」七百四号のこの句からは薔薇に託した宮廷文化への強い郷愁と愛着の念が偲ばれます。

手の薔薇に蜂来れば我王の如し         草田男(くさたお)
(てのばらにはちくればわれおうのごとし)


『長子』所収のこの句はルオーの『老いたる王』の画をヒントにしたとの由であります。
手にした薔薇の香に慕い寄る蜂の姿が忠実な家臣や従僕のように見えます。草田男にはメルヘンや寓意(ぐうい)の外に自らを演劇の主人公に仕立て上げる演出があり豪奢な薔薇の連想から王者の優越感、幸福感というものを体現して見たかったのだと思います。
薔薇は夏の季題でありますが、四季それぞれに魅力的な花を咲かせてくれます。
そういう薔薇の新鮮なイメージを形容に用いて

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷        波郷(はきょう)
(あえかなるばらよりおればはるのらい)


寒卵薔薇色させる朝ありぬ
(かんたまごばらいろさせるあさありぬ)


のように抒情性(じょじょうせい)を高める例もあり近代感覚を表現するのに適した季題でもあります。

筑紫野の菜殻の聖火見に来たり         茅舎(ぼうしゃ)
(つくしののながらのせいかみにきたり)

燎原の火か筑紫野の菜殻火か
(りょうげんのひかつくしののながらびか)


「菜殻火(ながらび)」とは梅雨前に刈って油を絞り取った後の菜殻を焼くことで筑紫野の菜殻火は特に有名です。川端茅舎(かわばたぼうしゃ)は弟子の小野房子(おのふさこ)から聞いた菜殻火を見に死の二年前に病躯(びょうく)を押してはるばる東京からやって参りました。「聖火」とか「燎原の火」とかいう表現には強い心の張りが示されており、延々と燃え移る火の祭典の壮観な様子が目に浮かびます。

菜殻火は観世音寺を焼かざるや
(ながらびはかんぜおんじをやかざるや)

都府楼址菜殻焼く灰降ることよ
(とふろうしながらやくはいふることよ)


これは火炎に浮かび上がった萬葉(まんよう)の古刹(こさつ)の幻影を現実から飛躍した世界のように描いております。茅舎に憧れた朱鳥(あすか)は自分の主宰誌の名を「菜殻火」と致しました。
朱鳥にも

神々のみ代の如くに菜殻燃ゆ          朱鳥(あすか)
(かみがみのみよのごとくにながらもゆ)

人間に夜なくばさみし菜殻燃ゆ
(にんげんによなくばさみしながらもゆ)


という句があります。今回の「薔薇」と「菜殻火」という二つの季題には浪漫精神(ろうまんせいしん)という共通項があるように思われます。

      

(平成二十四年五月六日 葉月会「道草」より)


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2014年04月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十三. 祭(まつり)と 朴の花(ほおのはな)

五月の兼題は「祭」と「朴の花」であります。

妹が居の宰相山も夏祭               誓子(せいし)
(いもがいのさいしょうやまもなつまつり)


山口誓子(やまぐちせいし)は昭和三年十月、浅井啼魚(あさいていぎょ)の長女波津女(はつじょ)と結婚し、大阪の宰相山に新居を構えました。この句は昭和三年の作で

七月の国灼くる見ゆ妹が居は            誓子(せいし)
(しちがつのくにやくるみゆいもがいは)


と共に第一句集『凍港(とうこう)』に収められており、結婚を間近に控えた婚約時代の作品であります。「妹(いも)」のような万葉語(まんようご)の使用は短歌のアララギ派から刺激を受けたものかも知れません。「宰相山(さいしょうやま)」という地名、「夏祭」という季題が実に的確で見事な相聞俳句(そうもんはいく)と言えましょう。

家を出て手を引かれたる祭かな           草田男(くさたお)
(いえをでててをひかれたるまつりかな)


父が外交官であった中村草田男は祖母に溺愛(できあい)されて育ちました。これは幼時(ようじ)を回想したもので手を引いたのはきっとその祖母であったろうと思います。笛太鼓(ふえたいこ)の音(おと)やアセチレン・ガスの匂う人出の中、淋しい孫を賑やかな祭の場へ誘い出そうとする祖母の心情が伺えます。祖母の急逝(きゅうせい)は二十二歳の草田男に「ラザロ体験」ともいうべき衝撃を与えました。
誓子と草田男は共に俳句の近代化で大きな功績を挙げましたが、両者の個性は極端に対照的です。唯一の共通点は小動物に関心が強かったということですが誓子の方は即物的(そくぶつてき)、感覚的で嗜虐的(しぎゃくてき)でさえあるのに対して草田男の方は寓意的(ぐういてき)、象徴的(しょうちょうてき)であり、祝祭的(しゅくさいてき)でさえあります。その生き様も誓子は合理的、分析的で草田男は非合理的、総合的であります。

朴散華即ちしれぬ行方かな             茅舎(ぼうしゃ)
(ほおさんげすなわちしれぬゆくえかな)


川端茅舎は短命ではありましたが俳句の絶頂期に死の時を同じくした数少ない俳人の一人です。辞世(じせい)の句が最高の作品であるということは俳人冥利(はいじんみょうり)に尽きると思います。「朴散華(ほおさんげ)」という言葉は「涅槃(ねはん)」を意味する象徴的な深い内容のものであり、人が安易に模倣(もほう)すべきものではありません。この句は「ホトトギス」昭和十六年八月号の巻頭句となりました。

火を投げし如くに雲や朴の花            朱鳥(あすか)
(ひをなげしごとくにくもやほおのはな)


茅舎に私淑(ししゅく)した朱鳥も朴の花を愛した作家でありました。「如(ごとく)」は二人に共通する表現法であります。この句は昭和二十一年「ホトトギス」六百号の巻頭句で、彼の生まれた直方市(のおがたし)多賀公園(たがこうえん)の野見山朱鳥(のみやまあすか)文学碑(ぶんがくひ)に刻まれております。平成十年七月、阿蘇を吟遊(ぎんゆう)し、朱鳥旧居(きゅうきょ)で野見山ひふみ夫人にお会いした翌日、私は多賀公園の大きな朴の木の下にあるこの文学碑に凭(もた)れて目を瞑(つむ)ったままいつまでも蝉時雨(せみしぐれ)を浴びながら句想(くそう)に耽(ふけ)っておりました。

生れ来る子よ汝がために朴を植う          朱鳥(あすか)
(うまれくるこよながためにほおをうう


は昭和二十八年七月号の「ホトトギス」巻頭句でありますが、その御長男のお名前は直樹と申されます。




(平成二十三年五月八日 葉月会「道草」より)


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