2016年03月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  三十六. 日永(ひなが)と 櫻貝(さくらがい)

平成二十五年四月の兼題は「日永」と「櫻貝」に致しました。

永き日のにはとり柵を越えにけり        不器男(ふきお)
(ながきひのにわとりさくをこえにけり)


芝不器男の代表作の一つ。陽春四月の午後、農家の庭先に放し飼いにされていた鶏のうちいつしか数羽が柵を越えて隣地に入り込みのんびりと草を啄ばんでいる様子を描いたもので「永き日」の実感が強く伝わって参ります。『定本芝不器男句集』を編んだ飴山實(あめやまみのる)はこの句に二十三歳という青春特有の倦怠感と大正末期特有の倦怠感とを感じると言い、スローモーションの映画を見るようだと評しております。

獨り句の推敲をして遅き日を          虚子(きょし)
(ひとりくのすいこうをしておそきひを)


高浜虚子は昭和三十四年四月八日、八十五歳で永眠いたしました。その句帳の最後には「句仏十七回忌」と詞書を附したこの句が鉛筆書きされていたとのことであります。句仏とは東本願寺第二十三世管長の大谷句仏上人(おおたにくぶつしょうにん)のことで虚子と親交がありました。東本願寺で四月一日から七日まで営まれる句仏十七回忌に記念講演をする予定が病変のため原稿代読という仕儀に相成りました。虚子の「句仏師の五句」という講演稿には、句仏師の支援で碧梧桐(へきごとう)の諸国行脚「三千里」が実現したこと、それが師の意に反する新傾向運動となったこと、虚碧の対立から師は「我は我」という立場を取り「孤独ではあっても信念を曲げずに」貫き徹されたことが綴られてありました。更に関係者に宛てた自筆の葉書には「句仏師十七回忌追憶」と詞書され、この句が記されてありました。この句は虚子自身の自画像ではなくして、在りし日の句仏師を偲び遅日の今昔を存問する贈答句なのでありました。

春寒や貝の中なる櫻貝             たかし
(はるさむやかいのなかなるさくらがい)


『松本たかし句集』には櫻貝の句が幾つかありますが、皆伝統的な手堅い写生の手法で作られたものばかりです。伝統が革新されるには新しい感性の出現を俟つ他ありません。

櫻貝長き翼の海の星              爽波(そうは)
(さくらがいながきつばさのうみのほし)


「青」昭和三十年五月号に発表された作品。第二句集『湯呑(ゆのみ)』所収。素材は「櫻貝」と「海の星」だけですが「長き翼の」という形容によってロマンチックな美しい世界が描き出されております。何か櫻貝と海の星との対話が聞えてくるようでメルヘンチックな世界に浸らされているような気分になります。『波多野爽波全集第三巻』の中の「自作ノート」という一文で爽波は「櫻貝とは、幼少の頃から殊のほか海に馴染み、折あるごとに渚から拾い溜めたあの薄桃色の櫻貝が私の胸裡深くに眠っていて、それが光芒を長く引いた明るい星に触発されて言葉として口の端にのぼってきたものであろう。」と自解しておりますが、事実、従来の写生俳句とは全く異なる創造力と感受性の豊かな新しい写生の世界を拓いたものと言えるのでありましょう。


(平成二十五年四月六日 葉月会「道草」より)


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2015年03月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十四. 花(はな)と 蝶(ちょう)

「道草」を始めて丸二年。今回は初心に帰るという意味でポピュラーな題に致しました。

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり       虚子(きょし)
(さきみちてこぼるるはなもなかりけり)


満開の大桜が目に浮かぶようです。『虚子百句(きょしひゃっく)』の中で稲畑汀子(いなはたていこ)はこの句を「華やぎの中の静寂」と評しました。昭和三年四月八日、虚子五十四歳の作でこの二週間後の大阪毎日新聞の講演で虚子は初めて「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」という言葉を口にしたとの事であります。

花の日も西に廻りしかと思ふ          あきら
(はなのひもにしにまわりしかとおもう)


「晨(しん)」の代表同人大峯あきら(おおみねあきら)の第八句集『群生海(ぐんじょうかい)』の代表句です。吉野に常住する宗教哲学者の作者には見慣れた花の日の夕景かもしれません。「西」という言葉の含意(がんい)の大きさ、自然さ、象徴的表現と、「も」とか「か」という助詞の絶妙な働きに注目して下さい。この句について私は「晨」の平成二十三年五月号に「花の日」という小文を寄せました。

倒れ木となりても花を咲かすかな        隆世(たかよ)
(たおれぎとなりてもはなをさかすかな)


平成十一年高野山に墓参した帰りに目にした光景です。私も年を経(へ)るにつれていつしか凋落(ちょうらく)するものの美しさに惹(ひ)かれるようになりそれに自分を重ね合わせるようになりました。
「ホトトギス」九月号の雑詠句評(ざつえいくひょう)では、「フェヒナーの「植物の精神生活について」で述べている“花の魂”についての一節を思い出した」との評がなされました。

野中をひらひらと舞い遊ぶ「蝶(ちょう)」は明るく暖かい春の化身のようです。

風吹いて蝶々迅く飛びにけり          素十(すじゅう)
(かぜふいてちょうちょうはやくとびにけり)


日紡の豊橋工場の練習生のとき、中学卒の女子工員に俳句の魅力を教えようと最初に黒板に書いたのがこの句でありました。風に乗った蝶々の姿をこれほど印象明瞭に表現した句は外にはありません。平明(へいめい)にして余韻のある純粋客観写生の見本のような句です。

山国の蝶を荒しと思はずや           虚子(きょし)
(やまぐにのちょうをあらしとおもわずや)


高校生の頃初めてこの句に出会った時、「山国の蝶」という表現に衝撃を受けました。それが浅間(あさま)や蓼科(たてしな)に近い小諸(こもろ)であると知ったのは後の事です。『虚子百句』では昭和二十年五月十四日、年尾(としお)と小諸を訪ねた京都の田畑比古(たばたひこ)に虚子が示した存問(そんもん)の句であると解説され、原句(げんく)の「蝶は」が「の」に直され更に「を」に推敲(すいこう)された過程が綴(つづ)られております。

美しきものに火種と蝶の息           魚目(ぎょもく)
(うつくしきものにひだねとちょうのいき)


これは埋火(うずみび)の火種と翅(はね)を休めている蝶の幽(かす)かな息遣いほど美しいものは無いという歎息(ためいき)の出るような宇佐美魚目(うさみぎょもく)の平成元年の作品であります。魚目は「年輪」で橋本鶏二(はしもとけいじ)に師事した後、波多野爽波(はたのそうは)の「青(あお)」同人となりました。第一回四誌連合会賞作家で二物衝撃的(にぶつしょうげきてき)な造型性の高い独得の美意識が特色です。同じ造型と言っても「俳句造型論」の金子兜太(かねことうた)とは違い、写生に裏打ちされた造型であります。


(平成二十四年四月七日 葉月会「道草」より)


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2014年03月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十二. 春風(はるかぜ)と 蛙(かはず)

四月の兼題は「春風(はるかぜ)」と「蛙(かは(わ)ず)」であります。

春風や闘志いだきて丘に立つ               虚子(きょし)
(はるかぜやとうしいだきておかにたつ)


『虚子百句(きょしひゃっく)』(稲畑汀子著(いなはたていこ ちょ))には大正二年二月、虚子三十九歳の作と記されております。大正二年と云えば虚子が俳壇復帰(はいだんふっき)して句会を再開し、五月には「ホトトギス」が二百号を迎えるという時期に当ります。子規(しき)没後(ぼつご)、俳句は碧梧桐(へきごとう)等の新傾向派(しんけいこうは)に依(よ)り無季(むき)・自由律(じゆうりつ)という方向へと逸脱(いつだつ)して行きますが、これに対し、俳句はあくまでも有季(ゆうき)・定型(ていけい)であらねばならぬとして敢然(かんぜん)と立ち向かったのが虚子(きょし)であります。春風を満身(まんしん)に受けて闘志を燃やす虚子に青年の覇気(はき)というものを感じます。「春風」という言葉の持つ前向きなイメージが人や時代を象徴し、その洋々(ようよう)たる前途(ぜんと)を祝福しているかのように思われます。

古池や蛙飛こむ水の音                   芭蕉(ばしょう)
(ふるいけやかわずとびこむみずのおと)


誰もが知っている芭蕉の「わび・さび」の世界を代表する句であります。ところが虚子はこの句を「虚子俳話(きょしはいわ)」で二度も取り上げ、この句が芭蕉の閑寂趣味(かんじゃくしゅみ)の代表句であるとされることに疑問(ぎもん)を呈(てい)します。それはこの句が秋暮(しゅうぼ)のような消極的な句ではなく陽春(ようしゅん)の句であるからということであります。虚子は自宅の金魚池でこの「蛙飛び込む水の音」を追体験(ついたいけん)して初めてその謎を解き明かすのです。そして虚子は「芭蕉はもとより喧騒(けんそう)の天地(てんち)を好まなかった。閑寂(かんじゃく)の境地を尊(とうと)んだ。併(しか)しながら決してそれ許(ばか)りではなかった。造化(ぞうか)を友(とも)とし、造化に帰ると言った。春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)の移り変わりに、常に心をとめることが彼の生命(いのち)であった。古池の水が温(ぬる)み始め、蛙の水に飛び込む音の聞えるといふ陽春の一現象が強く彼の心を打った。さうして(そうして)この句が出来た。私は楽しく散歩の杖を運んだ」と結ぶのです。
虚子がこの句に依(よ)り、俳句が「わび・さび」という孤独な閑寂の世界から更に「宇宙(うちゅう)の現(あら)われ」や「永遠の循環性(じゅんかんせい)」というものをその本質とすることを悟り「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」や「極楽(ごくらく)の文学」の発想を得たという意味でこの句は大変重要な一句と云えるのであります。

蛙の目越えて漣又漣                   茅舎(ぼうしゃ)
(かわずのめこえてさざなみまたさざなみ)


野見山朱鳥(のみやまあすか)は川端茅舎(かわばたぼうしゃ)によって俳句開眼(はいくかいがん)し、茅舎を目標に俳句を学び、そしてついに茅舎と並び称されるまでになりました。しかし、朱鳥は驕(おご)ることなく死ぬまで茅舎を敬愛(けいあい)しつづけ、茅舎に関する数多くの著作(ちょさく)を残しました。その冒頭にいつも出て来るのがこの句です。「蛙の目」がクローズ・アップされ作者の目と蛙の目とが同化(どうか)しているのが判(わか)ります。その目を漣(さざなみ)が来ては越え、来ては越えして行くのです。その度(たび)に蛙の目は水中に隠れたり水中から出たりいたします。朱鳥は茅舎研究を続ける内に茅舎が北原白秋(きたはらはくしゅう)の影響を受けたことを知ります。白秋の「雲母集(うんもしゅう)」には漣の連作があり、茅舎はその漣のイメージを借りてこの蛙の目に映る不思議な世界を創造したのです。




(平成二十三年四月十日 葉月会「道草」より)




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