永き日のにはとり柵を越えにけり 不器男(ふきお)
(ながきひのにわとりさくをこえにけり)
芝不器男の代表作の一つ。陽春四月の午後、農家の庭先に放し飼いにされていた鶏のうちいつしか数羽が柵を越えて隣地に入り込みのんびりと草を啄ばんでいる様子を描いたもので「永き日」の実感が強く伝わって参ります。『定本芝不器男句集』を編んだ飴山實(あめやまみのる)はこの句に二十三歳という青春特有の倦怠感と大正末期特有の倦怠感とを感じると言い、スローモーションの映画を見るようだと評しております。
獨り句の推敲をして遅き日を 虚子(きょし)
(ひとりくのすいこうをしておそきひを)
高浜虚子は昭和三十四年四月八日、八十五歳で永眠いたしました。その句帳の最後には「句仏十七回忌」と詞書を附したこの句が鉛筆書きされていたとのことであります。句仏とは東本願寺第二十三世管長の大谷句仏上人(おおたにくぶつしょうにん)のことで虚子と親交がありました。東本願寺で四月一日から七日まで営まれる句仏十七回忌に記念講演をする予定が病変のため原稿代読という仕儀に相成りました。虚子の「句仏師の五句」という講演稿には、句仏師の支援で碧梧桐(へきごとう)の諸国行脚「三千里」が実現したこと、それが師の意に反する新傾向運動となったこと、虚碧の対立から師は「我は我」という立場を取り「孤独ではあっても信念を曲げずに」貫き徹されたことが綴られてありました。更に関係者に宛てた自筆の葉書には「句仏師十七回忌追憶」と詞書され、この句が記されてありました。この句は虚子自身の自画像ではなくして、在りし日の句仏師を偲び遅日の今昔を存問する贈答句なのでありました。
春寒や貝の中なる櫻貝 たかし
(はるさむやかいのなかなるさくらがい)
『松本たかし句集』には櫻貝の句が幾つかありますが、皆伝統的な手堅い写生の手法で作られたものばかりです。伝統が革新されるには新しい感性の出現を俟つ他ありません。
櫻貝長き翼の海の星 爽波(そうは)
(さくらがいながきつばさのうみのほし)
「青」昭和三十年五月号に発表された作品。第二句集『湯呑(ゆのみ)』所収。素材は「櫻貝」と「海の星」だけですが「長き翼の」という形容によってロマンチックな美しい世界が描き出されております。何か櫻貝と海の星との対話が聞えてくるようでメルヘンチックな世界に浸らされているような気分になります。『波多野爽波全集第三巻』の中の「自作ノート」という一文で爽波は「櫻貝とは、幼少の頃から殊のほか海に馴染み、折あるごとに渚から拾い溜めたあの薄桃色の櫻貝が私の胸裡深くに眠っていて、それが光芒を長く引いた明るい星に触発されて言葉として口の端にのぼってきたものであろう。」と自解しておりますが、事実、従来の写生俳句とは全く異なる創造力と感受性の豊かな新しい写生の世界を拓いたものと言えるのでありましょう。
(平成二十五年四月六日 葉月会「道草」より)

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