「春寒」と言えば、私には忘れ難い二つの「字余り」の添削の思い出があります。一つは第一句集『石炎(せきえん)』の中の、
春寒の非常階段地には触れず 髏「(たかよ)
(はるさむのひじょうかいだんちにわふれず)
という句です。日紡で初めて本社の宿直をした時のことです。通用門近くの社屋の壁に非常用の外階段が懸かっており、それは地上寸前のところで途切れておりました。それを面白いと感じた私はそのまま「地に触れず」と表現したのですが、波多野爽波(はたのそうは)に「は」の一字を加えることを奨められ、「字余り」になっても一呼吸「間」を置く事で却って句が生きるということを知りました。後にこの句は無季俳人の林田紀音夫(はやしだきねお)から好評されました。
もう一つは第二句集『嬬恋(つまこい)』所収の
春寒の機械化人間チャップリン 同
(はるさむのきかいかにんげんちゃっぷりん)
という句です。映画「モダン・タイムス」の主役チャップリンの滑稽な演技に、機械文明によって人間性を失っていく現代社会への風刺を感じ、試しに「機械人間」という表現で『萬緑(ばんりょく)』へ投句したのですが、選者の中村草田男(なかむらくさたお)はこれを「機械化人間」と添削致しました。改めて草田男の持つ言語感覚の鋭さと厳しさを感じ取った瞬間でありました。
執念くも春寒き日の続きけり 虚子(きょし)
(しゅうねくもはるさむきひのつづきけり)
『六百五十句』に収められたこの句は、昭和二十四年四月二日作です。四月の初めまで「春寒」が続いていたためか「執念深い」とか「しつこい」という意味の「しゅうねくも」という言葉に春を待つ思いの強さが感じられます。「春寒」という季題には「余寒」とは異なりいつまでも到来しない春への苛立ちがあるように思われます。
恋猫の恋する猫で押し通す 耕衣(こうい)
(こいねこのこいするねこでおしとおす)
「恋猫は恋する猫という本性のままその生を全うすれば良いのだ。」という句意でありましょうか。加古川の俳人、永田耕衣は「琴(リラ)座」の主宰ですが、自己と対象とを自由に変換し、自然を諧謔的な意外性としてとらえるという一風変った個性の持主でした。東洋的無を俳句の根源と考え、季を超えて「無」や「空」を探求致しました。一元化を目指す点では高野素十(たかのすじゅう)に、「深」を求めるところは高浜虚子に似ていますが、観念的なのが難点です。
猫の恋後夜かけて父の墓標書く 草田男(くさたお)
(ねこのこいごやかけてちちのぼひょうかく)
第一句集『長子』春の部所収の句です。草田男の父修は外交官で外地を転々とした後、大正十五年五十三歳で急逝致しました。しかし、墓は草田男が大学を卒業して教職に就く迄、十年間仮墓標のままでした。この句は、恋に狂う猫の嬌声に悩まされながら、夜を徹して明け方近くまで父の墓標を太字で墨書している三十代半ばの独身男である自分をユーモラスに客観描写している処が近代的かつ新鮮であります。
(平成二十五年二月九日 葉月会「道草」より)

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