2017年03月01日

想(自句自解)三月

失ひし刻を涼しく思ひをり         髏「(たかよ)
(うしないしときをすずしくおもいおり)


平成二十五年の「ホトトギス」稲畑汀子選「天地有情」の巻頭句です。虚子記念館の隣の稲畑邸で毎月第三水曜日に催されることになっている夏潮会のあとの選評で汀子先生は微笑を浮かべながら「失ひしというのは何を失ったというのですか。」と私に尋ねられました。
私は永い一生で身に振りかかって来た色々な出来事を思い起こし乍ら、その都度の選択によって失われた機会を「あのときああしておけばよかった」と言う風にマイナスには考えず、すべて現在につながる自分の運命の基因と見て肯定し、いま生きていることを無上の幸せと考えておりましたので、そのような想いや生き様を「涼し」という言葉で表そうとしたのでした。ただ、それを説明することは簡単ではないものですから、にっこりと笑顔を浮かべているだけでありました。

椅子の上に秋が坐つてをりにけり
(いすのえにあきがすわっておりにけり)


同じ年、私と妻は自分達の高齢化や子供達が遠隔地に住むようになったことから思い切って身辺整理のため永年住み慣れた西明石のサバ―ビアシティのマンションを処分することに致しました。二十一階建のそのマンションは新幹線と在来線が交わる西明石駅から僅か徒歩五分という便利なところにあり二十階のわが家は東に大阪湾、南に小豆島や四国が見渡され、朝から夕まで日の当たる本当に快適な住まいでありました。しかし、私の俳句関係の文書や妻の陶芸関係の作品の整理を考えると仕方の無いことでありました。
いよいよ明け渡すため群馬県の北軽井沢へ向けて大半の荷物を送りだしたあと、がらんとなった書斎の板の間に背凭れの高い華奢な愛用の椅子だけが一つぽつねんと残されていていかにも寂しげな感じでありました。私は疲労と脱力感を覚えながらただぼんやりと秋の光に包まれたその椅子を眺めやっていたのですがふと私はその上に「秋」が坐っていることに気付いたのです。そのとき、私は「秋」というどこか不気味な実存を目にしていたのでした。

嬬恋に死すと思へば爽やかに
(つまこいにしすとおもえばさわやかに)


転居先の北軽井沢はブラジルから帰国した頃より馴染になったところですが、会社に勤めながら毎夏のように避暑に訪れておりました。そこに別荘を建て老後を過ごすことを夢見た日もありましたが、第二の人生を大阪や神戸で過ごさねばならなくなった会社員という身分では空想に近いものがありました。
北軽井沢の隣にある嬬恋村は俳句を始めた高校生の頃から憧れを抱いたところでした。それは全く未知の土地であったのですが、教科書で出会った現代俳句の石田波郷の

葛咲くや嬬恋村の字いくつ         波郷(はきょう)
(くずさくやつまこいむらのあざいくつ)


という句からありありと目にした幻視の世界でありました。堀辰雄の「風立ちぬ」という小説の序曲に出て来る風景も北軽井沢にある浅間牧場から遠望する山波そのものでありました。「嬬恋」という地名と「妻恋」という言葉の美しい情感も響き合うものが感じられました。
全く不可能と思っていた夢が色々な偶然を経て実現し、そこで生涯を終えることは何という幸せなことでありましょうか。「爽やか」という季題は私の万感が詰まっております。私はこの句を転居挨拶状に記すことに致しました。

いまはただ枯れ行くものと共にあり
(いまわただかれゆくものとともにあり)


然し乍ら、北軽井沢の生活は単調そのものでありました。周りはただ枯れて行くものばかりが目につきました。人生の終わりをこのように枯れて行く万象と共にあるということが実感されました。そしてそのことを素直に受け入れいのちの循環というものを肯定するようになりました。この句の「共にあり」というところは、「晨」の代表同人の大峯あきら氏を初め多くの方々から共感されました。



中杉髏「
(「サバービア通信」平成二十九年三月一日より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 隆世の句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする