2017年02月01日

想(自句自解)二月

白鳥の引くとき空の低かりし        髏「(たかよ)
(はくちょうのひくときそらのひくかりし)


満七十一歳で柏井紙業を退職して一年、平成十九年の四月に北海道で「ホトトギス」の大会があり、昔、山中湖の虚子の稽古会で会ったことのある代表幹事の依田明倫氏からの熱心な電話での誘いや妻の勧めなどもあってそれまで福島以北へは行ったことの無かった私は初めての北海道への旅をすることにしたのでした。その大会のあった翌日、ラムサール条約に登録されている美唄の宮島沼への吟行会に参加し、その折に作ったのがこの句であります。何万羽という鴨達の中に白鳥もいくつか群れを作っておりましたが、鴨が空を真っ暗にして旋回しながら一斉に飛び立ったあと白鳥が悠然と引くさまを目のあたりに致しました。
 鴨と違って白鳥の引きざまはどこか物語めいていてその序曲のような場面が想像されて、直感的に大空が低く感じられたのでした。この句は汀子選の特選に入り、明倫氏からも褒めていただきました。

虚子と会ひ風生とあふ花野かな
(きょしとあいふうせいとあうはなのかな)


 この句は「ホトトギス」の平成二十年一月号に掲載されたものですが、念頭には昭和三十二年の夏、大日本紡績株式会社の豊橋工場から山中湖の虚子山荘で開かれた稽古会に参加した折に見た光景を思い出しながら作ったものであります。その折、

風生と死の話して涼しさよ         虚子(きょし)
(ふうせいとしのはなししてすずしさよ)


という句に出会って深い感銘を覚えたことが伏線になっております。当時の虚子山荘のあたりは花野が広がっていて富士山が間近く見えておりました。その日のことは「俳句は極楽の文学である」という虚子の言葉通り素晴らしい至福の体験に思えました。私の手許には今も富安風生、小路紫峡、白幡千草と一緒に撮った写真が残っております。

秋扇いま白河の関を越ゆ
(あきおうぎいましらかわのせきをこゆ)


平成二十年の八月、松岡ひでたか氏に誘われて山斗会の人達と夢にまで見た遠野へ旅することに致しました。それは青春18きっぷというJRの鈍行列車を乗り継ぐもので五泊六日の旅でありました。白河の関は古歌にも歌われているようにそこを越えるということはみちのくに入ったという実感を覚えさせるものがあります。私は秋扇を手にしたまま車窓に深まりゆくみちのくの景色に見とれておりました。

足摺をひとりさまよふ虚子忌かな
(あしずりをひとりさまようきょしきかな)


平成二十一年の四月、松岡ひでたか氏や浜崎素粒子氏らと足摺岬へ旅したことがあります。足摺岬は松本たかしの大作

海中に都ありとぞ鯖火もゆ
(わだなかにみやこありとぞさばびもゆ)


漁り火の海の都も夜長かな
(いさりびのわだのみやこもよながかな)


が作られたところで憧れの地でもありました。私は感慨深いその場所でいつまでも真夜中の海の彼方の漁火を見やっておりました。
帰る日の四月八日は虚子忌でありました。鎌倉では「ホトトギス」の同人が集まって法要を営んでいるに違いありません。そういう時に自分も同人の一人でありながら足摺岬をさまよっていることに申し訳なさを感じておりました。そういうあり方を反省しながらも思いを貫こうとする自分を肯定する自分というものを感じておりました。



中杉髏「
(「サバービア通信」平成二十九年二月一日より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 隆世の句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする