2017年01月01日

想(自句自解)一月

明けましておめでとうございます。新年の冒頭にあたり、自作の富士三題から自句自解を始めさせていただきます。

夏富士は悍馬の如く立ち上り        髏「(たかよ)
(なつふじはかんばのごとくたちあがり)


平成十六年の夏、「ホトトギス」の稲畑汀子主宰と同人会長の安原葉氏のご提案に依り、春菜会と稽古会有志の会が富士山麓山中湖畔の虚子山荘で行われることとなりました。
丁度、月々汀子邸で催される夏潮会に入会したばかりの私は願っても無い機会と思い、一も二も無く参加させて頂くことに致しました。私が初めて虚子山荘で行われた稽古会に参加したのは昭和三十二年の夏のことで、その後、「ホトトギス」を去って二十九年も俳句遍歴したあと「ホトトギス」に戻って来た私にとってそれは感慨深いものがありました。
当日は折悪しく台風のため新幹線の米原駅で六時間も停車したり、掛川あたりでも河川の増水のため足止めを食ったりしましたが、稲畑汀子主宰の英断で吟行が決行されたのでした。
掲出の句はその日、三島から吉田口に向かうバスの窓から目にした富士を詠んだもので、恰も荒天へ立ち上がらんとする悍馬のように見えた夏富士の姿を一気に句に致しました。私には久しぶりの会心の写生句でありました。

放浪の果て赤富士を仰ぎけり
(ほうろうのはてあかふじをあおぎけり)


富士ホテルに泊まった朝、私は久しぶりに赤富士と対面致しました。それは昭和三十二年に椰子会の仲間達と一緒に見た赤富士と同じ姿をしておりました。その後、虚子先生と赤富士が一体に思われ、俳壇を放浪して来た私には再び師と出会ったような喜びを感じたのでした。当時七十歳であった私は第三句集『日輪』を上梓するつもりでその末尾を飾るに相応しい句が無くて出版を躊躇しておりましたが、この吟行への参加により一挙に好句が量産出来て自信を持って句集刊行に踏み切ることが出来たのでした。

白面の青年と見ゆ初富士は
(はくめんのせいねんとみゆはつふじは)


その翌年の正月、初富士を見てこの句を詠みました。それはこれより世に立たなんとする白面の青年のように見えました。それは正しく世俗にまみれず経験の乏しい青年の心意を表徴するもののごとくに思われました。この「白面の青年」という言葉は昭和三十二年の「俳句」十月号で山口青邨から私に対して与えられた言葉でありました。
 
つちふりてつちふりてつちふりにけり
(つちふりてつちふりてつちふりにけり)


「つちふる」というのは、蒙古や中国など大陸の奥地で見られる現象であります。
これは、その砂漠に降りやまない霾天を想像し、その実感を強調しようとしたものです。「つちふる」という言葉を三度重ね合わせることによってその暗い空から土が絶え間なく降る様子をより力強く表現しようと考えました。
平成十八年十月号の「ホトトギス」の雑詠句評でも「中国大陸の黄土地帯から舞い上がった大量の黄沙が風にのって空を覆い、降る現象を霾の一字で、つちふる、ばい、と呼ぶが、その降り様がはげしい時は、日の光をもさえぎり、昼の天地をも暗くする。この句はあえて漢字を使わず仮名文字のみを用いて、しかもその事のみを繰返し叙すことによって、情景の心持が鮮明に伝わってくる句に仕上がっている。実に平明で誰もが詠めそうであるが、そう簡単には詠めない句であり、心持のふかい句である。(葉)。
特に西日本の方はこの季節になると「霾」が多く中国大陸から飛んできて、それこそ景が真っ黄色になってしまう日もある。それにしても何と大胆かつユニークな読み方であろう。他の季題では完全に陳腐になってしまうのではないかと思うが、この季題はこの詠み方が何とマッチしている事か。(廣太郎)と評されました。



中杉髏「
(「サバービア通信」平成二十九年一月一日より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 隆世の句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする