2015年06月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十七. 夏山(なつやま)と 向日葵(ひまわり)

平成二十四年七月の兼題は「夏山(なつやま)」と「向日葵(ひまわり)」であります。

向日葵の蕊を見るとき海消えし         不器男(ふきお)
(ひまわりのしべをみるときうみきえし)


昭和初期の四S以後の「ホトトギス」で川端茅舎(かわばたぼうしゃ)と共に最も輝いたのは芝不器男(しばふきお)でありました。彼は彗星のごとく現れ昭和五年二月、二十八歳の若さで世を去りました。この句は唯一残された『芝不器男句集』の中の一句で、向日葵の蕊に全神経を集中しているとき周りにあった青海がすっかり視野から消え失せていたという実感を句にしたものです。

向日葵に天よりも地の夕焼くる         誓子(せいし)
(ひまわりにてんよりもちのゆうやくる)


第三句集『炎昼(えんちゅう)』に収められている誓子の代表作の一つであります。向日葵の立つ大地が天よりも凄まじく夕焼している情景をかく表現したものですが、天地、色彩の対比という手法に知的構成的な技巧を感じます。この句がわれわれの写生と少し違う感じがするのは「生」を写すか「実」を写すかの違いにあると言えましょう。誓子は「根源」と「生命」を同視しておりますが、私には別物のように思われます。

われ蜂となり向日葵の中にゐる         朱鳥(あすか)
(われはちとなりひまわりのなかにいる)

昭和二十六年三月号の「ホトトギス」の雑詠巻頭句であります。この号より選者は虚子(きょし)から年尾(としお)になりました。野見山朱鳥(のみやまあすか)の第二句集『天馬(てんば)』に収められているこの句は向日葵の花蕊の中に入り込んで蜜を集めている蜂に自らを化体(かたい)し花鳥と一体となった自己の生命を客観的に諷詠したものであります。

夏山と熔岩の色とはわかれけり         左右(さゆう)
(なつやまとらばのいろとわわかれけり)

平畑静塔(ひらはたせいとう)と共に「京大俳句」の創刊に係わった藤後左右(とうごさゆう)も芝不器男同様、昭和初期に台頭(たいとう)した作家の一人です。緑の夏山と褐色の熔岩とが別々に稜線を伸ばしている姿をこのように表現したものであります。この句は「ホトトギス」昭和五年十月号の雑詠入選句で「炎天や行くもかへるも熔岩のみち(えんてんやゆくもかえるもらばのみち)」という句と同時に作られました。

水な上みへ夏山色をかさねけり         素逝(そせい)
(みなかみへなつやまいろをかさねけり)


昭和十二年十一月号の「ホトトギス」雑詠入選作で『定本素逝句集』の「夏山」にある長谷川素逝(はせがわそせい)の代表作です。私は谷川岳近くの水上辺りを想像しておりましたが、これは川上を意味する水上であるようです。しかし、水上と言ったが故に緑や紺や青の夏山色の重なりが連山の遠近感を的確に表わし句全体に清清しい風趣を与えてくれているのです。

夏山の宗太郎とはよき名なり          鶏二(けいじ)
(なつやまのそうたろうとはよきななり)

第三句集『山旅波旅(さんりょはりょ)』所収。昭和二十五年五月、橋本鶏二は盟友野見山朱鳥東道のもとに九州各地を吟遊致しました。これは宗太郎という名の夏山に出会ったときの感興を句にしたもので「宗」という左右対称の一字が特に効果的です。

      

(平成二十四年七月七日 葉月会「道草」より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 七月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする