2015年06月01日

〜まど〜 今月のテーマと例句 『母』 

前回、前々回と「妻」や「子」をテーマにして参りましたが、今回は「母」をテーマにした俳句のご紹介をいたしましょう。とはいえ今回もまた中村草田男(なかむらくさたお)の俳句からお話をさせて頂くことになりそうです。草田男という人は家族に対する情愛が人一倍強かったのでありますが、それは幼少期からの家庭環境にも一因があったように思われます。草田男は明治三十四年に中国福建省廈門(ちゅうごくふっけんしょうあもい)の日本領事館で生まれました。しかし、父が外交官であったため郷里の松山に帰国後も家族揃って暮らすことは稀で子供達は皆祖母や乳母の手で育てられたようであります。それだけに「母恋し」との思いは深かったことと思われます。

はゝそはの母と歩むや遍路来る         「長子(ちょうし)」草田男(くさたお)
(ははそはのははとあゆむやへんろくる)

母老いぬ裸の胸に顔の影            「同」
(ははおいぬはだかのむねにかおのかげ)

父の墓に母額づきぬ音もなし          「同」
(ちちのはかにははぬかづきぬおともなし)

百日紅父の遺せし母ぞ棲む           「火の島(ひのしま)」
(さるすべりちちののこせしははぞすむ)

草田男の母は大正の初めハワイからロンドンへ転勤した夫の許へ子供を残して旅立った程ですから当時としては可なり進んだ女性であったように思われます。父の死後、その母の奨める見合いを十回も断わって直子という最愛の人を得た草田男にとって新家庭の「妻」と「子」がいかに大切な存在であったかはもはや申し上げるまでもございますまい。

月ゆ声あり汝は母が子か妻が子か        草田男(くさたお)
(つきゆこえありなわははがこかつまがこか)


これは昭和十四年六月号の「ホトトギス」の巻頭句でありますが、難解で有名になった句であります。これは、草田男が母と妻という二つの大きな存在の板ばさみに合いながら結論を出せずに思い悩む有様を天上の月から下問されるという劇的な構成で表現しようとしたものであります。そうすることに依って自からの真摯な生き様を厳粛に表現しようとしたのでありましょう。
その後、「母」を詠った句としては

母の日や大きな星がやや下位に         「萬緑(ばんりょく)」草田男(くさたお)
(ははのひやおおきなほしがややかいに)

母がおくる紅き扇のうれしき風         「来し方行方(こしかたゆくえ)」
(ははがおくるあかきおうぎのうれしきかぜ)

花藤や母が家厠紙白し             「銀河依然(ぎんがいぜん)」
(はなふじやははがやかわやがみしろし)

母なき冬石臼の目をきざむ音よ         「母郷行(ぼきょうこう)」
(ははなきふゆいしうすのめをきざむおとよ)

四つの我も十九ちがひの母も昼寝        「同」
(よつのわもじゅうくちがひのははもひるね)


などの数多くの作例を見ることが出来ます。
草田男と同じ松山出身の石田波郷(いしだはきょう)にも母恋の句が沢山あります。どうも南国出の詩人は「母」に郷愁を感じ易い性質を持ち合わせているように思われます。波郷の方は草田男と違って俳句への志を立てて上京し、戦中、野戦病院にて左湿性助膜炎(さしつせいろくまくえん)を病み、戦後は二回に亘る胸部成形手術を受けるなど病身の境遇となりました。心配を掛け続けただけに母に詫びる思いも強かったと思われます。

隙間風兄妹に母の文異ふ            「鶴の眼(つるのめ)」波郷(はきょう)
(すきまかぜきょうだいにははのふみちがう)

露けしや父母訪ふ金をまた貯めむ        「雨覆(あまおおい)」
(つゆけしやふぼとうかねをまたためん)

柿食ふや遠くかなしき母の顔          「借命(しゃくみょう)」
(かきくうやとおくかなしきははのかお)

春夕べ襖に手かけ母来たまふ          「同」
(はるゆうべふすまにてかけははきたまう)

満天星に隠りし母をいつ見むや         「同」
(どうだんにかくりしははをいつみんや)

金の芒はるかなる母の祈りをり         「同」
(きんのすすきはるかなるははのいのりをり)

蛍火や疾風のごとき母の脈           「春嵐(はるあらし)」
(ほたるびやはやてのごときははのみゃく)

悉く桃は袋被ぬ母癒えむ            「同」
(ことごとくももはふくろきぬははいえむ)

蟹紅し遠山あをし母睡し間           「同」
(かにあかしとおやまあおしははねしま)

秋いくとせ石鎚山を見ず母を見ず         「酒中花(しゅちゅうか)」
(あきいくとせいしづちをみずははをみず)

母亡くて寧き心や霜のこえ           「同」
(ははなくてやすきこころやしものこえ)

中村汀女(なかむらていじょ)にも「母」を詠んだ句が沢山ありますが、それは母である自分よりも自分を通じて感じられる母性なるものをテーマにしているように思えます。

曼珠沙華抱くほどとれど母恋し         「汀女句集(ていじょくしゅう)」汀女(ていじょ)
(まんじゅしゃげだくほどとれどははこいし)

泣いて行く向うに母や春の風          「同」
(ないてゆくむこうにははやはるのかぜ)

咳をする母を見上げてゐる子かな        「同」
(せきをするははをみあげているこかな)

秋暑き汽車に必死の子守唄           「同」
(あきあつききしゃにひっしのこもりうた)

などからそのことは感じられると思います。
私の場合、私の中にある「母」のイメージは

われを生みいまは障子を貼れる母        「石炎(せきえん)」髏「(たかよ)
(われをうみいまはしょうじをはれるはは)

というものであります。大事に育てて呉れました。



平成二十三年八月十九日 

中杉髏「


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 母がテーマの俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする