2015年03月01日

ばあこうど 〜去り行くか〜

淡路島の真上には冬の日が今日も何事もなく光り輝いている。
書斎の窓の正面は阪神・淡路大震災の震源地となった北淡町(ほくだんちょう)である。新幹線と在来線の交差する西明石駅のすぐ傍のマンションの二十階は物凄く揺れた。壁に掛かった浜田昇児(はまだしょうじ)の蘭の絵が壱回転しかねない程であった。勤め先の柏井紙業のビルはあのとき三宮のフラワーロードに横倒しになった。あれから早十三年。私は古稀(こき)を過ぎた自由の身だ。

五十年前、私は神戸商科大学の学生であった。卒業論文も仕上げ就職の方も大日本紡績に内定していたというのに煩悶(はんもん)の日々を送っていた。高校時代、美術部の一年後輩に意中の女性がいて、大学に入学した頃から文学書の紹介などの文通を続けていたが大学四回生になった夏、思い切って告白した。しかし彼女は応じなかった。
英文学教授で商大俳句会顧問として親しかった橋關ホ(はしかんせき)先生からは「諦めたらどうだ」と言われたが、とてもその気になれず、未練が断ち切れなかった。

末枯れてけふこの女醜さよ           隆世(たかよ)
(うらがれてけふこのおんなみにくさよ)


という句を作って忘れようと試みたりもした。
年が明けて卒業まで三ヶ月足らずになったとき、かねて大学を卒業する迄に「ホトトギス」の巻頭を得たいと念願していた私は、「欅(けやき)」同人の田淵阿喜津老(たぶちあきつ)からマン・ツー・マンの特訓を受けていた。若い頃、岡本綺堂(おかもときどう)に戯曲を、伊藤左千夫(いとうさちお)に短歌を学び、高浜虚子(たかはまきょし)に願い出て池内たけしに師事することになったというこの人物は私の夢を叶える為「一日百句」を課した。
その夜も全没(ぜんぼつ)を喰(く)った私は複雑な思いを抱いたまま須磨寺の大池のほとりで一本の枯木に凭れていた。ふと池の向こうを見ると、私と同じように枯木に凭れ物思いに耽(ふけ)っている男がいた。私より年は上のようだった。いったい何のためにこんな時間にそこにいるのか不思議に思った。どちらが私でどちらがその男なのか判らなくなり乍(なが)ら私はその男が帰る迄は動くまいと思った。痺れを切らしかけた頃、その男に動きが見えた。彼は枯木を離れてゆっくり池沿いに歩いて来て黙ったまま私の目の前を通り過ぎて行った。

いま行くが枯木に凭れゐし男
(いまゆくがかれきにもたれいしおとこ)

去り行くは枯木に凭れゐし男
(さりゆくはかれきにもたれいしおとこ)


というような句が出来た。私には「第三の男」のラストシーンが思い出された。
この句は池内たけし先生から

去り行くか枯木に凭れゐし男
(さりゆくかかれきにもたれいしおとこ)


と添削され三重丸を付けて阿喜津老の所へ返されて来た。
二月の綿業俳句会に出席して高浜年尾(たかはまとしお)、五十嵐播水(いがらしばんすい)という先生方と関圭草(せきけいそう)東洋紡社長の車に乗せられた私は、淀川の鉄橋に差掛ったころ突然、年尾先生から「ホトトギス」三月号の巻頭を知らされ驚愕した。さらにそれが虚子先生の添削であることが告げられた。

悴みてけふこの女醜さよ            隆世(たかよ)
(かじかみてけふこのおんなみにくさよ)


念願が叶った瞬間であった。播水先生はこの添削を「巨匠の一彫り」の神技と驚嘆された。私はこの「悴みて」という季題を用い渾身の思いで作った二句と「去り行くか」の句を「ホトトギス」に投じ、六月号で再び巻頭の栄冠を勝ち得たのであった。
「去り行くか」の句について「ホトトギス」七月号で深見けん二(ふかみけんじ)氏は“新しい心理描写”と言われ、年尾先生は“時間的の経過が面白く窺(うかが)はれる”と評された。「青」の六月号では、神田敏子(かんだとしこ)氏が「表現力」というエッセイの中で

乗鞍は凡そ七嶽霧月夜             たかし
(のりくらはおよそななだけきりづきよ)


と並べて

去り行くか枯木に凭れゐし男          隆世
(さりゆくかかれきにもたれいしおとこ)


を「本当に好い句です。青春の寂寥感(せきりょうかん)といふかオーヘンリーの短編を読む様なフェータルな雰囲気を漂はせてをります。この句こそまぎれもない真物(まもの)です。」と書かれた。
昨年「NHK俳句」十二月号で安原葉(やすはらよう)氏はこの句を紹介されて「物語の一場面を見ているような句」であり「余韻のある一句」と解説して下さった。

昭和三十二年の夏、私は山中湖の虚子山荘の稽古会に参加し虚子や立子(たつこ)や風生(ふうせい)や杞陽(きよう)といった人々と共に花野に立った。それこそ「極楽の文学」そのものであった。その後、四誌連合を初めとし「萬緑(ばんりょく)」などを「俳句遍歴」の末、再び「ホトトギス」の古巣へ戻った。
美術部の後輩であった彼女とは昭和三十四年十一月に結婚し、来年は金婚である。今は、私の傍らでせっせと磁器絵付の筆を楽しんでいるところだ。
冬の日はいつしか衰えを見せ、淡路島から小豆島を越えて西の海に傾きかけている

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中杉隆世

(「ばあこうど」平成二十年四月号より)




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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 隆世のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする