2015年03月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十四. 花(はな)と 蝶(ちょう)

「道草」を始めて丸二年。今回は初心に帰るという意味でポピュラーな題に致しました。

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり       虚子(きょし)
(さきみちてこぼるるはなもなかりけり)


満開の大桜が目に浮かぶようです。『虚子百句(きょしひゃっく)』の中で稲畑汀子(いなはたていこ)はこの句を「華やぎの中の静寂」と評しました。昭和三年四月八日、虚子五十四歳の作でこの二週間後の大阪毎日新聞の講演で虚子は初めて「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」という言葉を口にしたとの事であります。

花の日も西に廻りしかと思ふ          あきら
(はなのひもにしにまわりしかとおもう)


「晨(しん)」の代表同人大峯あきら(おおみねあきら)の第八句集『群生海(ぐんじょうかい)』の代表句です。吉野に常住する宗教哲学者の作者には見慣れた花の日の夕景かもしれません。「西」という言葉の含意(がんい)の大きさ、自然さ、象徴的表現と、「も」とか「か」という助詞の絶妙な働きに注目して下さい。この句について私は「晨」の平成二十三年五月号に「花の日」という小文を寄せました。

倒れ木となりても花を咲かすかな        隆世(たかよ)
(たおれぎとなりてもはなをさかすかな)


平成十一年高野山に墓参した帰りに目にした光景です。私も年を経(へ)るにつれていつしか凋落(ちょうらく)するものの美しさに惹(ひ)かれるようになりそれに自分を重ね合わせるようになりました。
「ホトトギス」九月号の雑詠句評(ざつえいくひょう)では、「フェヒナーの「植物の精神生活について」で述べている“花の魂”についての一節を思い出した」との評がなされました。

野中をひらひらと舞い遊ぶ「蝶(ちょう)」は明るく暖かい春の化身のようです。

風吹いて蝶々迅く飛びにけり          素十(すじゅう)
(かぜふいてちょうちょうはやくとびにけり)


日紡の豊橋工場の練習生のとき、中学卒の女子工員に俳句の魅力を教えようと最初に黒板に書いたのがこの句でありました。風に乗った蝶々の姿をこれほど印象明瞭に表現した句は外にはありません。平明(へいめい)にして余韻のある純粋客観写生の見本のような句です。

山国の蝶を荒しと思はずや           虚子(きょし)
(やまぐにのちょうをあらしとおもわずや)


高校生の頃初めてこの句に出会った時、「山国の蝶」という表現に衝撃を受けました。それが浅間(あさま)や蓼科(たてしな)に近い小諸(こもろ)であると知ったのは後の事です。『虚子百句』では昭和二十年五月十四日、年尾(としお)と小諸を訪ねた京都の田畑比古(たばたひこ)に虚子が示した存問(そんもん)の句であると解説され、原句(げんく)の「蝶は」が「の」に直され更に「を」に推敲(すいこう)された過程が綴(つづ)られております。

美しきものに火種と蝶の息           魚目(ぎょもく)
(うつくしきものにひだねとちょうのいき)


これは埋火(うずみび)の火種と翅(はね)を休めている蝶の幽(かす)かな息遣いほど美しいものは無いという歎息(ためいき)の出るような宇佐美魚目(うさみぎょもく)の平成元年の作品であります。魚目は「年輪」で橋本鶏二(はしもとけいじ)に師事した後、波多野爽波(はたのそうは)の「青(あお)」同人となりました。第一回四誌連合会賞作家で二物衝撃的(にぶつしょうげきてき)な造型性の高い独得の美意識が特色です。同じ造型と言っても「俳句造型論」の金子兜太(かねことうた)とは違い、写生に裏打ちされた造型であります。


(平成二十四年四月七日 葉月会「道草」より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 四月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする