2015年02月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  二十三. 耕(たがやし)と 涅槃(ねはん)

三月の兼題は「耕(たがやし)」と「涅槃(ねはん)」に致しました。日本人の特性とされる勤勉性は農耕(のうこう)と深く関わりがあるように思われます。その稲作中心の文化は日本民族の精神風土を形成して参りました。俳句の季題の大半は農耕と関係あるものですが、とくに春先に行われる「耕」は種蒔(たねまき)や苗植(なえうえ)のために土を鋤(す)きほぐす大切な作業と云えるものであります。

耕しの女が二人蝶二つ             素十(すじゅう)
(たがやしのおんながふたりちょうふたつ)


素十の第二句集『雪片(せっぺん)』の中の一句です。「女が二人野良に出て耕しにいそしんでいる。その辺りを二匹の蝶が舞っている。」という見慣れた田園の風景を叙したものであります。散文(さんぶん)では只事に過ぎないことも季題十七文字の俳句に表しますと俄然生命が吹き込まれて一つの天地が現出するから不思議です。「二」という数字で単純化されて「女」と「蝶」が付かず離れず弾むようなリズムで活写(かっしゃ)されております。

耕せばうごき憩へばしづかな土         草田男(くさたお)
(たがやせばうごきいこえばしずかなつち)


草田男の第四句集『来し方行方(こしかたゆくえ)』所収(しょしゅう)の句であります。「土」に焦点を合わせたこの句からは、句集の扉に掲げる「われわれは 祈願する者から出て 祝福する者にならなければならない」というニーチェの言葉や草田男自身が跋(ばつ)に誌(しる)す「作品は生みつゞけられなければならない。此世に、避け得られない死といふものが存在し、抑へ得られない愛といふものが存在するが故に。」という言葉に表された意志が暗示されているように思われます。

「涅槃」とは釈迦(しゃか)入滅(にゅうめつ)を意味し、陰暦二月十五日には各寺院で涅槃会(ねはんえ)が営まれます。阿波野青畝(あわのせいほ)には主宰誌(しゅさいし)「かつらぎ」の誌名の由来となった代表句

葛城の山懐に寝釈迦かな            青畝(せいほ)
(かつらぎのやまふところにねじゃかかな)


を初め、同じ第一句集『萬両(まんりょう)』の「なつかしの濁世の雨や涅槃像(なつかしのじょくせのあめやねはんぞう)」や第二句集『国原(くにはら)』の「一の字に遠目に涅槃したまへる(いちのじにとおめにねはんしたまえる)」「涅槃図の穢土も金泥ぬりつぶし(ねはんずのえどもきんでいぬりつぶし)」や第三句集『春の鳶(とび)』の「美しき印度の月の涅槃かな(うつくしきいんどのつきのねはんかな)」等々数多くの涅槃像を詠んだ名吟があって他の追随(ついずい)を許さないものがあります。青畝は難聴(なんちょう)のため心耳(しんじ)を澄ませた集中力と生来(せいらい)の主情的(しゅじょうてき)な表現力で東の秋桜子(しゅうおうし)、素十に対し西の誓子(せいし)と共に四Sの一人として大いに気(き)を吐(は)きました。
その他、私の愛唱(あいしょう)し止まない「涅槃」の作には

土不踏ゆたかに涅槃し給へり          茅舎(ぼうしゃ)
(つちふまずゆたかにねはんしたまえり)

獣に青き獅子あり涅槃像            夜半(やはん)
(けだものにあおきししありねはんぞう)

赤寺の赤絵がちなる涅槃変           朱鳥(あすか)
(あかでらのあかえがちなるねはんへん)

牛に蹄馬に蹄や涅槃の日            爽波(そうは)
(うしにひづめうまにひづめやねはんのひ


などがあります。涅槃図は高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶし)や京都東福寺(きょうととうふくじ)、泉涌寺(せんゆうじ)のものが有名ですが、加古川の鶴林寺(かくりんじ)では線描(せんびょう)の涅槃図を目に致しました。


(平成二十四年三月九日 葉月会「道草」より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 三月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする