「雪」は「雪・月・花」と讃えられるように冬を代表する美の象徴であります。
雪の朝二の字二の字の下駄の跡 捨女(すてじょ)
(ゆきのあさにのじにのじのげたのあと)
是がまあつひの栖か雪五尺 一茶(いっさ)
(これがまあついのすみかかゆきごしゃく)
などは古くから良く知られた句ですが、明治の俳句革新以降では
いくたびも雪の深さを尋ねけり 子規(しき)
(いくたびもゆきのふかさをたずねけり)
が特に有名です。『子規歳時(しきさいじ)』(越智二良著)では明治二十九年一月二十一日の作となっており、喀血(かっけつ)して病臥(びょうが)の身となった子規の心境が思い遣(や)られます。その他、
雪片のつれ立ちてくる深空かな 素十(すじゅう)
(せっぺんのつれだちてくるみそらかな)
降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男(くさたお)
(ふるゆきやめいじはとおくなりにけり)
深雪道来し方行方相似たり 同
(みゆきみち こしかたゆくえ あいにたり)
雪はしづかにゆたかにはやし屍室 波郷(はきょう)
(ゆきはしずかにゆたかにはやしかばねしつ)
吹雪ても吹雪ても北海道の子よ もりゑ(もりえ)
(ふぶきてもふぶきてもほっかいどうのこよ)
雪を来し足跡のある産屋かな 朱鳥(あすか)
(ゆきをきしあしあとのあるうぶやかな)
など皆それぞれに素晴らしく私の愛唱(あいしょう)しやまない諸作であります。今回は解説は行わず、皆さんにじっくりと味わっていただき、後刻感想を聞かせて頂きたいと思います。
「龍の玉」では
龍の玉深く蔵すといふことを 虚子(きょし)
(りゅうのたまふかくぞうすということを)
という句を推奨いたしたいと思います。これは「深は新なり(しんはしんなり)」と言った虚子の信念をそのまま俳句にしたような作品であります。句集『五百五十句(ごひゃくごじゅっく)』の昭和十四年の作品で、一月九日、丸ビル集会室であった笹鳴会に出句されたものです。「龍の玉」は「龍の髯の実」とも「蛇の髯の実」とも言い、旧家の軒下や庭隅などに植えられ深々と濃緑の葉を茂らせていて幾つかは辺りに落ち転がっておりますが、多くは髯の奥に隠れております。それは真に優れたものは玉の光を人前に現さず深く蔵しているものだという句意に思われます。
蛇の髯に実のなってゐし子供かな 草田男(くさたお)
(じゃのひげにみのなっていしこどもかな)
この句は虚子編『新歳時記(しんさいじき)』の「龍の玉」の例句に掲(かか)げられているものであります。蛇の髯になっている青い実を不思議そうに指差し訴えかける無邪気で小さな子供の可愛い表情が目に浮かんで参ります。草田男の処女句集『長子(ちょうし)』では、この句は「夏」の部にあって「冬」の部には載っておりません。たまたま夏に「蛇の髯の実」を見たのか或いは誤って「夏」に分類したのか、これは一つの謎であります。
(平成二十四年一月七日 葉月会「道草」より)

俳句・短歌 ブログランキングへ