2014年07月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十六. 秋(あき)と 墓参(はかまいり)

平成二十三年八月の兼題は「秋(あき)」と「墓参(はかまいり)」です。

旅懐(りょかい)
此秋は何で年よる雲に鳥              芭蕉(ばしょう)
(このあきはなんでとしよるくもにとり)


「漂泊(ひょうはく)の詩人」と言われた芭蕉には「秋」の名句が数多くあります。芭蕉没後に出た支考編(しこうへん)『笈日記(おいにっき)』にはこの句は元禄(げんろく)七年芭蕉が奈良から大阪に向う最後の旅で詠まれたものとされています。「この秋は何で年よる」という呟(つぶや)きには旅を栖(すみか)とした芭蕉の深い思いが籠(こ)められており、「雲に鳥」という表現で芭蕉の全人生を象徴する不滅(ふめつ)の名句となりました。

選集を選みしよりの山の秋             虚子(きょし)
(せんじゅうをえらみしよりのやまのあき)


選(せん)に没頭していた時には気付かなかったが、選集を選び終わって目にした山の秋は何と趣(おもむき)深く美しく見えることよという句意(くい)で、安堵(あんど)と満足と余裕の交じる、しみじみとした感懐(かんかい)が伝わって参ります。選集というと「ホトトギス雑詠選集(ざつえいせんしゅう)」を思い浮かべますが、この句は昭和十八年秋の富士山麓(ふじさんろく)山中湖畔(やまなかこはん)虚子山荘で作られました。

秋の航一大紺円盤の中               草田男(くさたお)
(あきのこういちだいこんえんばんのなか)


草田男の第一句集『長子(ちょうし)』の序文(じょぶん)で虚子が「印度洋(いんどよう)を航行(こうこう)して居る時もときどき頭をもたげて来るのは「秋の航一大紺円盤の中 草田男」といふ句でありました。」と言ったこの句は昭和九年十二月号の「ホトトギス」巻頭句(かんとうく)であります。翌月の雑詠句評会(ざつえいくひょうかい)では虚子は「秋の航という描写にはどこまでも無理がつき纏(まと)う。併(しか)し「一大紺円盤の中」とある印象的な描写が、其(それ)を余(あま)り意(い)に介(かい)さしめないほど強い力を持っておる。」と評しました。

槙の空秋押移りゐたりけり             波郷(はきょう)
(まきのそらあきおしうつりいたりけり)


という句は波郷自身「一枚の板金のやうな叙法(いちまいのいたがねのようなじょほう)」と言っているように、「槙の空」以下一気に「秋」の気配(けはい)を捉(とら)えた名吟(めいぎん)で、芭蕉の「こがねを打のべたる如く成べし。(こがねをうちのべたるごとくなすべし)」という表現の理想に相応(ふさわ)しい古典の技法に則(のっと)ったリズム感のある一句一章(いっくいっしょう)の代表作であります。

「墓参」という季題では

掃苔をたのしきこととする国ぞ           鶏二(けいじ)
(そうたいをたのしきこととするくにぞ)


という句が好きです。この句には「墓参」の暗いイメージは全くありません。盂蘭盆会(うらぼんえ)に集まった家族達が墓に眠る故人(こじん)を偲(しの)びながら賑(にぎ)やかに墓掃除に勤(いそ)しんでいる光景で「死」も四季の一現象に感じてしまう日本人独特の死生感(しせいかん)や幸福感(こうふくかん)が明るく表現されております。

詣りたる墓は黙して語らざる            虚子(きょし)
(まいりたるはかはもくしてかたらざる)


これは昭和二十九年十一月、虚子が文化勲章を受章したことを子規(しき)の墓に報告に行ったときに作られた作品であります。盂蘭盆で無くても墓参はする訳で、虚子は季題さえ入っておれば何時作ったかは問わない風がありました。


(平成二十三年八月一日 葉月会「道草」より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 八月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする