2014年06月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十五. 炎天(えんてん)と 金魚(きんぎょ)

平成二十三年七月の兼題は「炎天(えんてん)」と「金魚(きんぎょ)」に致しました。

炎天を駆ける天馬に鞍を置け            朱鳥(あすか)
(えんてんをかけるてんばにくらをおけ)


私が「炎天」を選んだ理由の一つはこの句についてお話をしたかったからであります。昔、「青(あお)」の亀岡鍛錬会(かめおかたんれんかい)の夜、宇佐美魚目(うさみぎょもく)、大峯(おおみね)あきら両氏と朱鳥(あすか)第一等(だいいっとう)の作品を論じ合ったことがあります。両氏と私の違いは「天馬が遠離(とおざか)ると見るか、近づくと見るか」という観点(かんてん)の差にありました。その経緯(けいい)は「椰子(やし)」二十六号の巻頭文「天馬の解(てんばのかい)」に明らかにされております。この句は昭和二十六年阿蘇の大観峰(だいかんぼう)で作られ、第二句集『天馬』の題名となった代表句でありますが、その「序」に表された芸術観のぎりぎりの接点において火花を散らし合った虚子(きょし)と朱鳥という師弟(してい)関係の激しさが想像されるのであります。
虚子には昭和五年七月十三日、旭川、鍋平朝臣(なべひらあそん)等と高野山に遊んだ折に詠んだ、

炎天の空美しや高野山               虚子(きょし)
(えんてんのそらうつくしやこうやさん)


という名吟(めいぎん)があります。「炎天の空」という無限の晴天(せいてん)と「高野山」という真言密教(しんごんみっきょう)の聖地(せいち)とが相俟(あいま)って「美しや」という感懐(かんかい)を虚子に抱(いだ)かせたのであります。「炎天」という言葉にはこのように人間の精神を激しく昂揚(こうよう)させる力があり、

炎天の遠き帆やわがこころの帆           誓子(せいし)
(えんてんのとおきほやわがこころのほ)

妻恋し炎天の岩石もて撃ち             草田男(くさたお)
(つまこいしえんてんのいわいしもてうち)

炎天の富士となりつつありしかな          あきら
(えんてんのふじとなりつつありしかな)


などの名作がつぎつぎと誕生し続けて来たのであります。

金魚は市井(しい)の風物詩(ふうぶつし)として涼(りょう)を誘う美しい夏の季題(きだい)であります。

金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り         草田男(くさたお)
(きんぎょたむけんにくやのかぎにきゃつをつり)


これは、昭和十四年七月号の「ホトトギス」の巻頭(かんとう)に据(す)えられ、人々をあっと驚かせた作品であります。雑詠句評会(ざつえいくひょうかい)で松本(まつもと)たかしは「或(ある)人物に対する憎悪(ぞうお)が具体化した残酷(ざんこく)な写象(しゃしょう)」としつつも草田男の異常な表現力を賞揚(しょうよう)致しました。選者(せんじゃ)の虚子は不運を諧謔化(かいぎゃくか)する一茶(いっさ)と真摯(しんし)に人生を歩む草田男とを対比しながら俳諧味(はいかいみ)が少ない分草田男が近代的であると認め季題の働き次第でこのような新しい世界が表現出来ることを示唆(しさ)致しました。

金魚大鱗夕焼の空の如きあり            たかし
(きんぎょたいりんゆやけのそらのごときあり)


たかしは幼少の記憶を基(もと)にこの句が生まれた経緯を「金魚大鱗(きんぎょたいりん)」というエッセイに書き残しております。俳句創造の機微(きび)を知る上で一読(いちどく)に値する名文と言って間違いありません。

金魚玉とり落しなば舗道の花            爽波(そうは)
(きんぎょだまとりおとしなばほどうのはな)


という句も虚子が写生の限界と認めた句の一つでありますが、意識の持ち様(よう)次第(しだい)でこのような不安感を俳句に表現することも出来るのであります。


(平成二十三年七月七日 葉月会「道草」より)


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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 七月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする