2014年02月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  十一. 雛(ひな)と 蕨(わらび)

三月の兼題は「雛(ひな)」と「蕨(わらび)」であります。

雛飾りつゝふと命惜きかな                立子(たつこ)
(ひなかざりつつふといのちおしきかな)


虚子(きょし)の次女で「玉藻(たまも)」の主宰者(しゅさいしゃ)となった星野立子(ほしのたつこ)の句。句集『春雷(しゅんらい)』所収(しょしゅう)のこの句は昭和二十七年、四十九歳の作です。立子は昭和五十九年三月三日、八十一歳で亡くなりましたので奇(く)しくも「雛祭(ひなまつり)」の日が「立子忌(たつこき)」となりました。「雛祭」は元々穢(けが)れを祓(はら)う禊(みそぎ)を意味する「雛流し(ひなながし)」から始まったものですから女の子の成長や幸運を祝う華やかな行事の裏にどこか人の世の儚(はかな)さを感じさせる季題であります。「雛飾りつゝ」という行為と「ふと命惜き」という心情との間には自然な時間の流れというものを感じます。

天仰ぎつづけて雛流れゆく                敦子(あつこ)
(てんあおぎつづけてひひなながれゆく)


第五句集『天仰ぐ(てんあおぐ)』の題名になった「雨月(うげつ)」主宰(しゅさい)大橋敦子(おおはしあつこ)の代表句であります。「天仰ぎつづけて」という表現に「流し雛(ながしびな)」との自己同一化(じこどういつか)がなされております。これも「雛」という季題の持つイメージを最大限活用して人の運命や諦観(ていかん)を強調することの出来た素晴らしい写生句(しゃせいく)であると云えます。平成四年、宮島での雛流しの折の作と聞いております。
その他、「雛」の句で忘れ難(がた)いものに

天平のをとめぞ立てる雛かな               秋桜子(しゅうおうし)
(てんぺょうのおとめぞたてるひひなかな)

仕る手に笛もなし古雛                  たかし
(つかまつるてにふえもなしふるひひな)

雛の軸睫毛向けあひ妻子睡る               草田男(くさたお)
(ひなのじくまつげむけあいさいしねむる)


などがあり、秋桜子の「優美(ゆうび)」、たかしの「格調(かくちょう)」、草田男の「祝福(しゅくふく)」といった特性(とくせい)がそれぞれに「雛」という格好の題材を得(え)て遺憾(いかん)なく発揮(はっき)されていることに感心致します。
『万葉集(まんようしゅう)』巻八(まきはち)の巻頭歌(かんとうか)の、「石(いわ)走(ばしる)垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ) 志貴皇子(しきのみこ)」に詠(うた)われている通り「蕨(わらび)」は日本を代表する早春(そうしゅん)の山菜(さんさい)であります。

良寛の天といふ字や蕨出づ                魚目(ぎょもく)
(りょうかんのてんというじやわらびいず)


良寛(りょうかん)は名筆(めいひつ)で有名ですが、作者の宇佐美魚目(うさみぎょもく)もまた高名(こうめい)な書家(しょか)であります。この句は昭和四十九年に作られ第二句集『秋収冬蔵(しゅうしゅうとうぞう)』に収(おさ)められました。「天(てん)」という一字が躍動感(やくどうかん)に溢(あふ)れ、その天を目指して続々と萌(も)え出す蕨達(わらびたち)も生命感(せいめいかん)に充(み)ち満(み)ちているようです。

日輪の燃ゆる音ある蕨かな                あきら
(にちりんのもゆるおとあるわらびかな)


平成十五年作。大峯あきら(おおみねあきら)第七句集『牡丹(ぼたん)』に収められております。この句の要(かなめ)は「燃ゆる音ある」の中七(なかひち)にあります。「日輪の燃ゆる音」は人間には聞こえません。しかし、蕨達はそれを知っているのです。それは、存在と同化(どうか)する力を持つ者にのみ聞こえる世界と云(い)えるでありましょう。人間の中でそれを感じ取ることの出来るのは「永遠(えいえん)の生命(いのち)である言葉」を探し得(え)た僅(わず)かな詩人(しじん)や俳人(はいじん)のみであります。



(平成二十三年三月三日 葉月会「道草」より)




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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 三月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする