2013年10月15日

〜道草〜 今月の兼題と例句  七. 大綿(綿虫)(おおわた(わたむし))と 茶の花(ちゃのはな)

十一月の季題は、「大綿(綿虫)(おおわた(わたむし))」と「茶の花(ちゃのはな)」に致しました。
この「大綿(綿虫)」は虚子(きょし)の『新歳時記(しんさいじき)』には無く、汀子(ていこ)の『新歳時記』に載せられております。「蚜虫(あぶらむし)の一種で、初冬(しょとう)のころ、風もない静かな日に小さな綿のように、空をゆるやかに飛んでいる。」とあり、「綿虫(わたむし)」はその傍題(ぼうだい)です。

中村草田男(なかむらくさたお)の第二句集『火の島』の中に

停車場の大綿たれにかゝはりある              (昭和十三年)
(ていしゃばのおおわたたれにかかわりある)
  
前髪に大綿はやも嬰児ならず                (昭和十四年)        
(まえがみにおおわたはやもえいじならず)


という作例があります。
初冬のやや仄暗(ほのぐら)い印象は綿虫が場末や田園に舞っていることが多いからかも知れません。「停車場」という場面設定も的確です。「前髪に大綿」という写生から吾が子を腕に抱いてその成長をいとおしむ親の思いが良く表現されております。
私もこの「綿虫」という季題が好きです。私の第二句集『嬬恋(つまこい)』に

日輪へ綿虫のぼりくだりして                隆世(たかよ)
(にちりんへわたむしのぼりくだりして)
日輪へ綿虫のみちはるかなる
(にちりんへわたむしのみちはるかなる)           


という句を入集(にっしゅう)しております。日輪(にちりん)の前で舞いながら塔(とう)をつくる綿虫がふっと消えていなくなってはまた集まって来て同じ動作を繰り返すことに何か生の宿命とか儚(はかな)さを感じさせられました。

「茶の花(ちゃのはな)」もまた穏やかな初冬の日和(ひより)を感じさせてくれる親しみのある季題です。
波多野爽波(はたのそうは)が改めて俳句に開眼(かいがん)させられた句として好んで推賞(すいしょう)するものに

母が家ちかく便意もうれし花茶垣              草田男(くさたお)
(ははがやちかくべんいもうれしはなちゃがき)


という草田男の第五句集『銀河依然(ぎんがいぜん)』に収められている、昭和二十四年の句があります。
爽波(そうは)は「花茶垣(はなちゃがき)の句、全(まった)く天衣無縫(てんいむほう)とでも言うか、「便意(べんい)など頗(すこぶ)る個(こ)に即(そく)した事柄(ことがら)が一句のテーマとなり得たことがあるだろうか。また「便意もうれし」と、「うれし」という言葉で「便意」をあたたかく包み込んだところ、また字余りにはなるが「母が家ちかく」と頗(すこぶ)る自然でまた一句としては必然である場所の設定など、こういうことが一句として表現され、そして読み手の胸に深い共感(きょうかん)を与えることなど、それまでの私の句作りの中では凡(およ)そ考えもしなかったことであった。」(沖・昭和六十二年五月号)と讃(たた)えております。

茶が咲いていちばん遠い山が見え              あきら
(ちゃがさいていちばんとおいやまがみえ)


大峯(おおみね)あきら自選句集(じせんくしゅう)『星雲(せいうん)』の中で更に自ら抜粋(ばっすい)した十四句の中の一句です。第四句集『吉野(よしの)』の中にある平成元年の作です。澄み渡った空の彼方(かなた)に、それも最も遠い山が茶の花の咲いた畠(はたけ)から見はるかされるというどこか懐かしさを覚える作品です。作者のご夫人(ふじん)が茶処(ちゃどころ)の清水(しみず)ご出身と聞けば尚更(なおさら)のこと余情(よじょう)が広がります。


(平成二十二年十一月七日 葉月会「道草」より)




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posted by 俳句の会 世話人 中杉 髏「 at 00:00| 十一月の季題について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする