波多野爽波論 三、爽波と草田男（五）

しかしながら、結果がたとえいかような形であれ、感覚的写生主義が「人間性」の把握に対象範囲を拡げることにより新たな角度から人間心理の機微を衝いて作風に大きな巾を与えたことは否めないであろう。これは爽波氏自身の従来的なものに褪き足らない意欲が草田男はじめ現代俳句の未知な世界に足を踏み入れ、絶えず何かをプラスしようと努力された成果といえるであろう。そして、とりわけ、草田男の巨大な存在、若々しい詩眼に詩情をかき立てられつづけて来たことは明瞭である。

青百号記念講演の中で「例えば、このあいだも、東京で四誌連合の会があった時、草田男氏がいろいろ話をされた中で、「私はよく芒原の中で人事句が出来る」と言われましたけれども、そういう事ですね。例えば芒原へ行く道で一人の老婆に出合ったとしますね。今の目の前の芒ばかりをただ丹念に写生しているだけじゃあなくて、さっき出合った老婆から伝播されて起ったいろんなイマジネーションをフルに働かせ、そういう豊かな連想をも働かして作るという事。そこで天来の福音と申しますか、いろんな眼前の芒やその他の物との、関り合いで予期しなかった詩が出て来る。そういうようなことは我々がよく実際の句作の場で体験することで、こういうのも立派な写生じゃないかと言いたい訳です。」と言われているように草田男の昨句法が、写生を最広義に解そうとする爽波氏に大きな拠り所となっていることは確かである。

文集　−　波多野爽波論／中杉隆世　三、爽波と草田男（六）へ続く

（昭和三十九年一月）

『青』へ寄稿

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波多野爽波論 三、爽波と草田男（四）

それが人間を対象にした場合、両者の差は一層、ひどくなる。

紅雪惨軍人の敵老五人　　　　　　　　　　　　　　　　　　　草田男

（こうせつざんぐんじんのてきおいごにん）

人あり一と冬吾を鉄片と虐げし

（ひとありひとふゆあをてつぺんとしいたげし）

金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り

（きんぎょたむけんにくやのかぎにきゃつをつり）

の増悪の表現、

妻恋し炎天の岩石もて撃ち

（つまこいしえんてんのいわいしもてうち）

妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや

（つまのみこいしあかきかになどをなげかめや）

炎天の空へ吾妻の女體恋ふ

（えんてんのそらへあづまのにょたいこう）

という恋情の激しさ、

桜の実紅経てむらさき吾子生る

（さくらのみべにへてむらさきあこうまる）

あたたかき二人の吾子を分け通る

（あたたかきふたりのあこをわけとおる）

童話書くセルの父をばよぢのぼる

（どうわかくせるのちちをばよじのぼる）

という生命の讃歌に対して爽波氏の方は、

渡り鳥通ひ仲居がつまづいて　　　　　　　　　　　　　　　　爽波

（わたりどりかよいなかいがつまづいて）

朝曇男かなしき臍見せて

（あさぐもりおとこかなしきへそみせて）

手を拭けば赤し婢女花が散る

（てをふけばあかしはしためはながちる）

のように季節感によって屈折される心理の翳のままに、一人事現象、一社会現象として把握されるのだ。爽波氏は草田男のような、むき出しの増悪を示すことはされない。又、妻の句にしても

羽子をつくとき長身の妻にして

（はねをつくときちょうしんのつまにして）

赤のまゝ足ゆび緊めて物干す妻

（あかのままあしゆびしめてものほすつま）

秋風に孤つや妻のバスタオル

（あきかぜにひとつやつまのばすたおる）

という如く自己の半身としての女性に対する感動よりも「妻の座」にある一人の人間として妻の動作や所持品を通してその孤独感を把えようとする。だから、

空は太初の青さ妻より林檎うく　　　　　　　　　　　　　　　　草田男

（そらはたいしょのあおさつまよりりんごうく）

夏痩の妻や外国人と祈る

（なつやせのつまやとつくにびとといのる）

といった表情豊かな「妻」の姿に接することはできない。

文集　−　波多野爽波論／中杉隆世　三、爽波と草田男（五）へ続く

（昭和三十九年一月）

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